赤坂真理 なきものにされることへの物語り 第2回

生業訴訟「最高裁判決」のまやかし部分を徹底解剖する

赤坂真理×馬奈木厳太郎

赤坂真理連載「なきものにされることへの物語り」第2回は、6月17日に出された、国と東京電力を相手取った「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)など4つの裁判に対する最高裁判決について解説する。「国の責任を問えない」として原告敗訴の判断を示したこの最高裁判決について、生業訴訟の弁護団事務局長・馬奈木厳太郎弁護士が、傍聴席で裁判の様子を見ていた赤坂さんに、この判決の問題点を解説する。



政府が用意していた謝罪文を幻にした最高裁判決

赤坂 この最高裁判決は、4月25日の最終弁論も、6月17日の最高裁判決も、抽選券が当たって傍聴席にいたんですけど、原告側の論理立った弁論を聞いていて、これは勝てるのではないかと期待していたんです。ところが、判決はまさかの「国に責任なし」。言葉を失いました。
 それも、文言がひどいと言うか、冗談にもならないようなものでした。そんなことを最高裁が判決として真面目に言うということに、私は深いショックを受けました。心が潰されたみたいになって、しばらく怒りさえ湧いてこなかった。生きる力を根こそぎにされたような感覚、これが怒るよりまずいことですが、しばらく、本当に感情さえも出ませんでした。どんなふうに冗談にもならないものか、聞いた通りに、ほぼ完全に再生してみます。「政府に責任はない。仮に、たとえ、大臣が規制権限を使って防潮堤を強化するよう、施設に命じていたとしても、あの津波の被害は防げなかった」。
 仮定を堂々と根拠にすることへの驚き。仮定に基づいた上で、“やったところで防げなかったから責任はない”と、やらなかったことを正当化することを超えた、開き直り以上の論理。最高裁がそれをするという驚き。「予見可能性論」など、重要な議論には触れもしない、論点の恣意的な取捨選択。不誠実。今まで尽くしてきた議論はなんだったのでしょう。
 最高裁判所の法廷で、判決としてこんなデタラメが言われてしまうとは、最高裁とは何か、日本にとって司法とか何か、考えさせられてしまう。
 高裁までは「人間が人間のことを考えている」という感じがしていました。最高裁になっていきなり、「人間」ではなく「国」という顔のない機関が出てきて、それが「人間」の言うことも存在も、簡単につぶしていく。そんな感じがして、わたしの血の気が引いていきました。弁護団から色が消えて見えました。

馬奈木 もちろん、裁判なので勝ち負けはありますが、さすがにあんなひどい判決は想像だにしていませんでした。法令の趣旨・目的にのっとって国が規制権限を適切に行使したのか、しなかったのか。裁判ではその丁寧な判断プロセスが示されるべきなのに、判決文では、反対意見を除いては、そうしたプロセスはまったく触れられなかった。ありえません。判決後の最高裁正門前で、私は「検討されなくてはいけないこと、裁判所において示されなくてはいけないことが欠落している、肩すかしの判決」と声を上げましたが、正直、あまりにもひどい判決に脱力したというか、怒る気力も湧いてこなかったというのが正直なところです。

赤坂 あぁ、馬奈木さんでも気力を失われていたのですね。精一杯振り絞った声だったのですね。あれだけ緻密に国の責任をひとつひとつ指摘した原告側の主張を、最高裁はまるで指の腹でプチっと潰すように、いともあっさり退けてしまったという印象です。判決を聞いていて心臓が冷たくなってしまいました。傍聴席から向かって右側に弁護団と原告団が着席でしたが、判決が下った瞬間、その法廷の右側から色が消えてしまったように見えました。「顔色を失う」という表現があるけど、本当にそんなシーンを生まれて初めて目撃しました。

馬奈木 じつは最高裁正門前では原告勝訴を前提に、岸田首相に向けて、「判決を受けて被害者らに国からの謝罪をすべき」と発言するつもりだったんです。というのも、事前に政府筋もさすがにこの裁判は勝てないと思っているとの情報を得ていましたから。実際、朝日新聞も官邸周辺は敗訴を想定して謝罪文の原稿まで用意していたと報道しています。だったら、国が公表する前に、こちらから謝罪を求めなければと考えていたのです。最高裁第2小法廷はそんな政府内の空気すら読めなかったのかと思うと、本当に腹立たしい。

 東京電力福島第一原発事故で被災した住民らが国に損害賠償を求めた4件(生業訴訟、群馬、千葉、愛媛各訴訟)の集団訴訟で、最高裁第2小法廷が国の責任を認めない判決を言い渡したのは6月17日のこと。
 生業訴訟は2013年3月に始まり、原告数は第1陣、第2陣を合わせると5000名を超える。この裁判を通じて原告団が目指したものは①状回復、②全体救済(原告にとどまらない被害者全体の救済)、③脱原発(ただし、訴訟上の請求とはしていない)の3点だった。
 その結果、2017年10月10日の第1審判決で、福島地裁は国と東電の原発事故責任を認定、続く2020年9月30日に開かれた仙台高裁の第2審でも同様の判断が示されていた。

赤坂 1審、2審では被害者の範囲についても画期的な判決が出たんですよね。

馬奈木 ええ。国が中間指針で示した賠償対象地域の範囲を超え、より広い人々が被害者として認定されました。2020年9月30日に示された仙台高裁の第2審でも同様で、中間指針では被害者として扱われていなかった福島県南地域や会津(注・会津は子どもと妊婦のみ)、さらには栃木県や宮城県の一部の人々も被害者として認定されました。また、賠償金についても中間指針を上回る額が損害として認定されました。これを不服として国と東電は最高裁に上告していたんですが、東電については今年3月に上告を受理しないとの最高裁決定があり、東電の賠償責任は確定しています。そして残る国の責任ついて6月17日に最高裁の判決が出たんですが、こちらは裁判官4人中3人の多数意見で「国の法的責任は認められない」という判断が示されたというわけです。

最高裁判決で多数意見を支持した3人、左から菅野博之、草野耕一、岡村和美の3判事(写真:共同通信社/ユニフォトプレス、朝日新聞社/ユニフォトプレス)

赤坂 原告側の筋道だった論に対して、最高裁はそれをスルーする、あるいはすっ飛ばしてしまうような判決でした。だって「仮に国が安全対策をしていたとしても、想定を超える津波で防げなかっただろうから国に責任にない」なんて、法律に詳しくない私でも「これはまともな判決なんだろうか」と首を捻ってしまいました。

次ページ 「最高裁レトリック」という名の脳内シミュレーション
1 2 3 4 5 6

プロフィール

赤坂真理
東京都生まれ。作家。2012年に天皇の戦争責任をアメリカで問われる少女を描いた小説『東京プリズン』(河出書房新社)が反響を呼び、戦後論の先駆けとなった。同作で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受賞。その他著書に「象徴とは何か」と問うた『箱の中の天皇』(河出書房新社)『ヴァイブレータ』(講談社文庫)、『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)、『愛と性と存在のはなし』(NHK出版新書)などがある。
馬奈木厳太郎
馬奈木厳太郎(まなぎ いずたろう) 1975年、福岡県生まれ。東京合同法律事務所所属。福島原発事故の被害救済訴訟「生業訴訟」の弁護団事務局長。他にも岩手県大槌町の旧役場庁舎解体差止訴訟などの代理人を務める。演劇界や映画界の#Me Tooやパワハラ問題も取り組んでいる。ドキュメンタリー映画では、『大地を受け継ぐ』(井上淳一監督、2015年)企画、『誰がために憲法はある』(井上淳一監督、2019年)製作、『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』(平良いずみ監督、2020年)製作協力、『わたしは分断を許さない』(堀潤監督、2020年)プロデューサー、『憂鬱之島 Blueisland』(チャン・ジーウン監督、2022年)共同プロデューサーを務めた。演劇では、燐光群『憲法くん』(台本・演出 坂手洋二)の監修も務める。
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

生業訴訟「最高裁判決」のまやかし部分を徹底解剖する