遺魂伝 第4回 山田洋次

〝寅さん〟がいなくなって、日本人から喪われつつあるもの

佐々木徹

寅さんは面倒くさいし厄介な人だけど、排除しちゃダメ

「新作(『こんにちは、母さん』・90本目の監督作品)で、こういうシーンを撮ったんです。近所のおばちゃんが勝手に吉永小百合さん演じる福江の家に上がり込み、自分で湯呑茶碗を出してお茶を飲む。観た人の中には、なんて図々しいことをしているんだ、とビックリした人もいたみたいなんだね。

 もちろん私もね、今の世の中ではありえないシーンだとわかっているんですよ。でもね、ひと昔、ふた昔の下町では実際にいくらでもあった日常なんだな。その日常が奇跡的にも福江の周囲ではまだ残っている設定にしたわけです。でも、今はもう、どこを探してもないな、あんな日常はね」

――勝手にお茶を飲むどころか、僕が子供の頃は隣に住むおばちゃんが平気で醤油やミリンを借りにきていましたから。

「自分の子供が空き地で友達と遊んでいると〝これから昼ご飯だけど、ナニナニちゃんも一緒に食べにおいで〟って誘ったりしていたしね」

――声を掛けられた子供も、ごく自然に何の躊躇も遠慮もなく、友達の家で昼飯を食べていましたよ。

「それでそのまま夕ご飯までご馳走になっちゃったり(笑)。そういう日常の積み重ねが大事なんです。ご飯に誘われた子供は、例えば食事の前に家族揃って〝いただきます〟と手を合わせるのが、その家庭でのルールだということを知る。他にも自分たちが食べる前に、神棚にご飯をお供えするのが友達の家のルールであることを知ったりする。

 そうやって自分が知らなかった小さな別の世界があることを学ぶ。自分の好き勝手にできない、わがままも通じない世界が確かに存在することを実体験で知ることは、子供の成長に繋がっていくんじゃないかと思う。それが結局のところ、他者をおもんばかる姿勢を育むことにもなる。

 今の子供は、みんな孤立して育っているからね、他者を通じて何かを学ぶ機会も少なくなっているし、そのせいで相手の心を理解しようとか、相手の気持ちになって考えるのが苦手になっていますよ。高校生がショッピングセンターで見知らぬ人を何人も斬りつけたりだとか、白昼堂々仮面をかぶった少年が闇バイトでそそのかされ、高級時計店に押し入ったり。そういった理解に苦しむ無慈悲な少年犯罪が多発している要因のひとつにもなっているんじゃないのかな、孤立して育つというのは」

――そういえば、お母さんが遊んでいる子供に〝ご飯だよ〟と声を掛け帰宅を促すシーンを何度か作品の中で描かれていましたよね。

「あれは何作目だったかな……。夕暮れの帝釈天、子供たちが遊んでいる。すると、お母さんが我が子に〝ご飯だよ。この子は勉強もしないで遊んでばかりいて。勉強しないと、そのうち寅さんみたいになっちゃうよ〟と言う。

 この場面で観客はドッと笑う。このセリフ、みんな面白いから笑うんだけど、当の寅さんからすれば〝勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ〟は悪口だしね(笑)、憤慨しているとは思うんだ。でもね、何か問題が起きて、それがたまたま寅さんのせいというか、発端だとわかり、町内の誰かが〝いい年こいて、こんなことをしやがって許せねえ。おい、寅! お前なんか柴又から出ていけ〟と言い出したら、悪口を言っていたお母さんは真っ先に〝寅さんは面倒くさい、厄介な人だけど、それでも昔から隣近所の付き合いがある人なんだ、排除しちゃダメ〟と言って反対するんじゃないかね。

 つまり、決してみんなの見本にはならないし、むしろあんな大人になっちゃいけないサンプルなんだけども、だからこそ逆説的に車寅次郎が必要なんだというね。問題を起こすといったって、寅さんがやらかすことは他愛のないことでしょ。それによって誰かの心をズタズタに傷つけたわけでもないし、ましてや刑事事件をやらかしたのでもない。本当に他愛のない、ちょっとしたイタズラの類いなんですよ。あるいは、一生懸命にやりすぎて、その必死さがどこかでズレてしまい、結果的に他人に迷惑をかけちゃっているだけ。

 人って、ふとした弾みに隣近所から怒られてしまうようなことをしでかしてしまうことがある。そんなバカだな、こいつはって、みんなから呆れられてしまうこともやってしまうのが人間なんだということを、寅さんは自分の行動で子供たちに教えてくれている。お母さんたちは、そのことをちゃんと理解しているんだね。だから、車寅次郎は本当に困った人ではあるけども、それでも大切な私たちの仲間なんだという……そういった許容の心が昔の日本人にはあったと思うね」

「それを言っちゃおしまいだよ」と渥美さんがアドリブに込めた思い

――子供に〝ご飯だよ〟と知らせにきたお母さんが、寅さんの存在を認めている、必要悪だと受け止めているという監督の言葉は胸に刺さりましたよ。これまで、寅さんシリーズをそういう見方でとらえたことはありませんでしたから。

「私がね、寅さんシリーズを撮っていた頃、優秀なスタッフに恵まれていたけども、1人か2人、どうにもしょうがねえなあっていう男がいたんだよ。別に、警察に捕まるような悪さはしないけど、仕事よりも飲んで騒ぐことが大好きでね(笑)。だからといって、お前はクビだと言ったことがない。というのも、そいつは現場に必要な人間だったのね。私がたまに、そいつを怒ることで現場に緊張感が走る。しかも、そいつがいないと作業終わりの宴会が盛り上がらない(笑)。

 結果的に、そいつを〝困ったヤツだ〟って言いながらも、その存在を許容しているほうが、撮影もうまく運んでいったわけね。今の時代のように、そういう人間を排除するのは簡単ですよ。でも、排除したら、ゆとりがなくなっちゃうような気がしてね。仕上がる作品もゆとりのない映画になるんじゃないかと思ったもんです」

――第8作目の『寅次郎恋歌』で、いみじくもさくらが〝誰だってさ、お兄ちゃんみたいな人間になりなさいって、子供に言うわけいかないもんねえ。でもさ、お兄ちゃんは何一つ悪いことしてないのよ〟と言っているんですが、まさにそれは許容の心から発せられた言葉だと思うんです。寅さんは〝どうにもしょうがねえなあ〟と周囲を困らせる人でしたが、警察に捕まるような悪いことはしていないし。あ、違う。無銭飲食で何度か捕まったことはありましたが。

「これも確か『寅次郎恋歌』での一場面だったと思うけど、寅さんとおいちゃんが口喧嘩を始める。そこで、おいちゃんが〝お前なんか出ていっちまえ!〟と怒鳴ってしまう。そう言われた寅さんは〝うるせえ! そうか、おいちゃん、そういうことを言うかい。それを言っちゃおしまいだよ〟と言い返す。この〝それを言っちゃおしまいだよ〟のセリフは渥美さんのアドリブでね」

――そうだったんですか。

「そう、完全に彼のアドリブ。渥美さんはたぶん、少年時代から言っていたんじゃないかな、人と喧嘩した際、最後の最後で〝それを言っちゃおしまいだよ〟って。

 この言葉がどんな意味を持っているかというと、おいちゃんが感情に任せて〝出ていけ!〟と口走ってしまった。これは寅さんからすれば〝お前なんか仲間じゃない〟と言っているのと同じことなんですよ。

 例えば、寅さんがタコ社長と些細なことで喧嘩をしてしまう。勢いあまって社長の頭をパカンッと殴ってしまった。でも、寅さんからすれば、タコと喧嘩はしたけども、血が出るほど殴っちゃいないよと。いずれまた、明日にでもなれば仲直りすることがわかっていて、そういう約束事を踏まえた上で喧嘩をしているんだし、そういった諍い事も含めて、俺たちの暮らしはあるんじゃないのかい? それこそが人間なんじゃないのかい?って寅さんは言いたいわけよね。

 それを〝出ていけ!〟と言ったが最後、お互いの寛容の心さえ潰しかねない。仲直りの機会さえ失いかねない。それがきっかけとなり、本当に音信不通の関係にもなりかねない。そのことを寅さんは嫌ったんじゃないかな。だから、どうしても〝それを言っちゃおしまいだよ〟って言い返さないと気が済まない」

――これを言うと、友人らは嗤うんですけど、車寅次郎はある面、人としてまっとうだと思うんですよ。

「役に立たない男ではあるけどね(笑)」

――例えば、第23作の『翔んでる寅次郎』では、初対面のひとみ(桃井かおり)に車に乗らないかと誘われたとき〝若い娘がな、旅の行きずりの男をそんな気やすく誘っちゃいけないよ。もし悪い男だったら、どうするんだ〟と言っているんです。若い娘に対して、そう諭すことができるのは人としてまっとうだからですよ。

 このことでもわかるとおり、寅さんって役に立たない男ではあるけども、理性があるんですよね。〝それを言っちゃおしまいだよ〟も言い方は乱暴ですが、監督がおっしゃったように、喧嘩した後のお互いの失わせてはいけない密な関係性、寛容を大事にしようとする理性的な姿勢が詰まっているように感じますね。

「それはね、寅さんだけじゃないと思うな。昔の下町には、そういう日常の暮らしの中で必要な理性を携えた人たちばかりでしたよ。おいちゃんだって〝出ていけ〟とは言ったものの、寅さんが家を出た後に〝なんであんなことを言っちまったんだ……〟と後悔する。おばちゃんもさくらも博も後悔してしまう。

 そうこうしているうちに月日が過ぎ、寅さんは何事もなかったように、まあ、多少の照れ臭さはあるにしろ〝よっ〟とか言って『くるまや』に戻ってくる。すると、今度は歓待しようとおいちゃんたちはいろいろと気を遣うんだけど、やっぱりひと悶着あって寅さんはまたしても『くるまや』を出て行ってしまう。

 その繰り返しなんだけども、仲たがいしてしまう関係でも緩やかに相手を認めることができれば、時間が過ぎていくうちに元の関係性に戻っていける。そういうことができるのが人間同士の本来の姿であり、人の知恵と理性であり、さっき言った絆……家族の絆ってもんなんじゃないのかなあ。

 今は違うものね。理性がどこかに飛んでいってしまい、穏やかに相手を認めることをしなくなってしまった。何かあると、すぐに排除しようとするし、相手を認めようとしなくなったから、今の社会は寛容性が失われてどんどん息苦しくなっているし、窮屈になっているんじゃないの。

 そう、窮屈といえばね、話は逸れるけども、公園の遊戯具にもいえることだよね。例えば、ジャングルジムで子供がケガを負ったとする。すると、クレームを恐れてか管理している自治体などがすぐにジャングルジムを撤去してしまうことがある。それこそ〝それを言っちゃおしまいだよ〟とお叱りを受けるかもしれないけど、子供が遊んでいるんです。落ちてケガぐらいはしますよ、子供なんだから。それで落ちた子供は今度こそ落ちないように、ケガをしないようにするにはどうすればいいのかを学んでいくんです。そこがとても大事なことなのに、結局たった1回のミス、しくじりをも消そうと、これから何十年も子供たちが楽しむであろうジャングルジムをいとも簡単に解体しちゃう。なんだろうね、このゆとりのない息苦しさって。これはなにも公園に限ったことではなく、日本中の至る所で起こっていることだと思うね」

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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