韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第4回

6月、映画でふりかえる「6・25朝鮮戦争」

映画『ブラザーフッド』『戦火の中で』『スウィング・キッズ』『高地戦』等
伊東順子

4.巨済島に作られた捕虜収容所(1950年11月)

 

17万人の巨大収容所

 

 長引く戦争のせいで、兵士も民間人も疲弊していき、飢餓との戦いを強いられていた。その中で唯一食糧事情が豊かな場所、それが国連軍の捕虜収容所だった。「共産軍捕虜のみなさん、米国の資本主義はこんなにも豊かですよ」といわんばかりに、捕虜収容所は西側の広告塔の役割を担っていた。映画『スウィング・キッズ』では、その頃の捕虜収容所の豊かな食料事情が描写されている。

 

 仁川上陸作戦による巻き返しで、一気に捕虜の数が増えてしまった国連軍は大規模な収容所建設を決めた。1950年11月末に巨済島に捕虜収容所が設置されると、各地に分散していた捕虜が1か所に集められた。その数は1951年6月の時点でなんと17万3000人余り!うち15万人が北朝鮮軍、2万人が中国軍の兵士とあるが、実際には兵士以外の一般の民間人などもかなり混じってはいた。それにしても、17万人という数がすさまじい。

 自治体並の人口が1か所に集まったら、どうなるか? ――自治体ができるのである。特に兵士の場合は階級序列がはっきりしており、組織化は簡単だ。さらに中には朝鮮労働党の党員もいたわけで、政治的な統率力もある。彼らが作った自治組織の中には「裁判所」もあり、収容所とは別の権力が存在していた。そして核心メンバーは収容所内で米軍を相手に組織的な戦いを展開するのである。

 ただし兵士の全てが、バリバリの共産主義者や反米主義者だったわけでない。むしろ強制的に入隊させられた兵士の中には共産主義を憎悪する者も多く、両者の対立は日に日に激化していった。特に休戦協議が始まった1951年7月以降は、この「親共捕虜」と「反共捕虜」の対立が抜き差しならぬものとなり、多くの犠牲者を出すのである。それは、まさに「戦争」だった。

 

休戦協議を遅延させた、捕虜の送還問題

 

 一般的に、捕虜収容所を舞台にした映画といえば、脱走モノを連想する人も多いだろう。『大脱走』や『戦場にかける橋』など第二次世界大戦後の世界的なヒット作は、ドイツ軍や日本軍の悲惨な収容所を舞台に、連合国の捕虜が果敢な脱走を試みる物語だった。ところが巨済島の捕虜収容所で起こった事件は、逃走などではなく「戦争」。『スウィング・キッズ』の冒頭に登場する古い米軍フィルムのタイトルは、「巨済島第3の戦争」である。

「第3の戦争」が激化したのは、1951年7月に「休戦協議」が始まってからである。朝鮮戦争が短期決戦にならなかったのは、それが多国間戦争に発展したことが大きいが、この休戦協議もまた多国間のリーダーたちの思惑がからみあって、協議開始から締結までに、なんと2年もかかってしまった。この2年間がどれだけ人々に悲劇をもたらしたか、それについては後で紹介する『高地戦』という映画が参考になる。

 休戦協議がこじれた最大の理由は、「捕虜の送還問題」だった。「全員送還」を強く主張する北朝鮮と中国、「捕虜自身の意思を尊重しよう」という米国、途中で勝手に3万人の「反共捕虜」を釈放してしまった韓国の李承晩大統領。それぞれの思惑のぶつかり合いで、休戦協議は何度も暗礁に乗り上げたのである。

 本来なら捕虜は自分の国への帰還を望むものだ。ところが、この戦争ではそうはならなかった。ここに朝鮮戦戦争の特殊性がある。

 なぜか? それは朝鮮戦争が国と国との戦争ではなく、イデオロギーとイデオロギーの戦争だったからだ。

 米国の立場では、捕虜が1名でも多く共産主義国への帰還を拒否して、韓国への残留や西側への送還を希望することが「イデオロギー戦、勝利の証」となった。逆に北朝鮮や中国にとっては、捕虜が自国への帰還を拒否して西側に行ってしまうのは、実に由々しき事態である。毛沢東などにしても、「プロレタリア国際主義の友愛精神」で隣国の戦いに志願した兵士が、ころっと寝返って西側に行ってしまったら、メンツが丸つぶれである。

 そこで共産主義祖国に忠実な捕虜たちは本国の意を受けて、「全員送還」のために収容所内で組織的な活動を行った。彼らは休戦協定で決められた「送還先に希望審査」を妨害し、また「自由送還」を希望する反共捕虜を狙ったテロ攻撃なども頻発した。『スウィング・キッズ』には、この凄惨な戦いが描かれている。

 第二次世界大戦後の米ソの理念対立は「東西冷戦」として欧州を二分したが、朝鮮半島では民族を二つに分け、ついに戦争状態になってしまった。冷戦ではなく「熱戦」。その戦争は捕虜収容所の中でも繰り広げられていたのだ。

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プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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