韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第4回

6月、映画でふりかえる「6・25朝鮮戦争」

映画『ブラザーフッド』『戦火の中で』『スウィング・キッズ』『高地戦』等
伊東順子

2万人の中国人捕虜

 

 個人的な希望を言うなら、できればクローズアップしてほしかったのは、中国軍兵士のシャオパンである。当時、収容所内にいた2万人の中国人捕虜は、どういう経緯で巨済島にまで来るに至ったのか。元芸人と設定されていたが、そういう人がいたとしても不思議ではない。

「朝鮮戦争」という呼び方は英語の「Korean War」にならったものだが、北朝鮮では「祖国解放戦争」、中国では「抗米援朝戦争」(米国に抗い、朝鮮を助ける)という、それぞれの位置づけがある。中国もまた壮絶なイデオロギー戦争(国共内戦)を戦った国であり、北朝鮮を支援する大義はそこにあった。

 毛沢東の中国にとって「アメリカ帝国主義は共通の敵」──なのだが、現実の中国は日中戦争から続く国共内戦で疲弊しており、正規軍の投入には限界があった。よって毛沢東の呼びかけで結成された「中国人民志願軍」の中には、役場にあった求人の貼り紙を見ただけ、戦争に行くことを知らなかった人もいたという。100万人とも言われた中国軍は、一部の精鋭部隊以外は、まさに「烏合の衆」だったのだ。

 

 少し前に見た台湾のドキュメンタリー映画『河北台北』(2015年、李念修監督)の主人公は、そんな元兵士の一人だった。1927年に中国河北省で生まれ、幼い時に父親を殺された後は、故郷の村を逃れて各地を転々としていた。国共内戦では国民党に参加して激戦をくぐり抜け、敗戦後には共産党に転身し、その後に朝鮮戦争に参戦して捕虜となる。休戦後の送還先に中国ではなく台湾を選んだ彼は、その後に一度も故郷を戻ることなく台湾で暮らしている。

 中国ではなく台湾を送還先に?――選べたのである。休戦協議でさんざん揉めた捕虜の送還問題は、結局、米国案に近い形となった。北朝鮮や中国への帰還を望む捕虜は優先的に送られる一方で、韓国への残留を望む者、あるいは第3国への出国を望む者は面談を通して希望が受けいれられることになったのだ。

 

5.休戦協議の間も、戦争は続いていた――映画『高地戦』

 

 朝鮮半島全域を何度もローラーにかけた戦争は、第二次世界大戦後に最も多くの被害を出した戦争とも言われた。国土の大半が戦場となったことで、特に民間人犠牲者が多く、その数は双方で低く見積もっても200万人を超えるという。ちなみに太平洋戦争における日本の民間人犠牲者は80万人であり、人口比を考えると朝鮮戦争の壮絶さをあらためて実感する。

 中国軍の捨て身の人海戦術に対し、米軍による空前絶後の空爆。この時、朝鮮半島全土に落とされた爆弾は66万9000トン、太平洋戦争中に日本の空襲に使われた爆弾の4倍にも当たるという途方もないものだった。

 

 おびただしい犠牲を前に、兵士も民間人も疲弊しきっていた。開戦から約1年がたち、38度線付近で戦況が膠着する中、米ソで休戦のための秘密交渉が始まっていた。そして1951年7月10日 、ついに休戦のための協議が始まった。ところが、これが遅々として進まなかったのは、すでに書いたとおりだ。

 そこから実際に休戦協定が結ばれるまでの2年、その間も休むことなく戦争は継続していた。特に38度線付近では両軍がわずかにでも領土を広げようと、激しい戦闘が行われていた。

 映画『高地戦』が問題にしたのは、この時期の戦争である。つまり休戦という結論は出ているのに、その条件を巡って各国の思惑がせめぎ合っている。会議は時に中断もされるが、戦争は中断されずに双方の兵士たちの命を奪っていく。

 もともと演技派で知られる主演のシン・ハギュンはもちろんだが、この映画では彼の大学の同級生役であるコ・スの演技が凄まじい。2人は戦場で再会する。本格的な戦争映画である。

 

 映画は休戦協議のシーンから始まる。広げた地図に米軍の代表が休戦ラインを書き込む。すると北朝鮮軍の代表がそれを訂正する。

「この丘は2日前に我軍のものとなりましたから」

 丘の名前は「AEROK 高地」。そこを再び奪い返すため、兵士たちはまた作戦に投入されるのだ。そして必ず誰かが犠牲になる。

「会議中であっても、休戦すればいいのに」

 映画の中で兵士がつぶやくように、会議が始まった時点で戦闘を一時停止していれば、そこから2年間の甚大な犠牲は防げただろう。なぜ休戦会議が長引いてしまったのか。おびただしい数の若者が犠牲になった責任は、誰にあるのか。

『高地戦』にとても印象的な台詞がある。戦争初期の段階で北朝鮮の将校が、捕虜にした韓国軍の若い兵士たちを「後で祖国に尽くせ」と家に帰してしまった話は、先に紹介した。あの時、彼はもう一言、こんなことを言ったのだ。

「お前たちは何故負けるのかわかるか? なぜ戦うのかわかっていないからだ」

 そしてこの言葉は3年後に、今度は将校自身に向かって投げかけられるのだ。

「なぜ戦うのか?」

 

『スゥイング・キッズ』は、その問いの彼方にある「和解」の方法を模索した映画だった。興行的には失敗したかもしれないが、タップダンスの音はよかった。

 あの凄惨な収容所内に、響き渡る軽快なリズム。それはフィクションなのだが、不思議なほど希望を感じる瞬間があった。最初はあまりのファンタジーに当惑した映画だったが、それが少し変化したのは、ウクライナの戦争が長引いているからだろうか。

 過去はともかく、今なら、70年経った今の世界なら、それは現実を変える力になるかもしれないと、そんなふうにも思いたくなるのである。

 

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プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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6月、映画でふりかえる「6・25朝鮮戦争」