1.猫と女性
リーダーは「子猫」だった
前回、『ワイキキブラザーズ』(イム・スルレ監督)と「ワラナコ運動」にふれたところ、少なからぬ反響があった。ならば『子猫をお願い』についても書かねば。そもそも運動をリードしたのは、「子猫」だったからだ。
「ワラナコ運動」とは2001年に韓国で起きた、映画の再上映運動である。作品は素晴らしく、専門家の評価も高いのに、商業的な配給網からはじかれしてしまう。そんな映画たちを救おうと立ち上がったのは、映画ファンたちだった。
「子猫を救おう!」
そう、始まりは子猫だった。
ネット空間に広がった「子猫救出運動」は、同時期に公開された『ワイキキブラザーズ』へ、さらに『ライバン』、『ナビ』(邦題は『バタフライ』)へと対象をひろげ、4作品の頭文字をとって「ワ・ラ・ナ・コ運動」と呼ばれることになった。結果としては、まずはソウルで『ワイキキブラザーズ』の再上映が行われ、その後に『子猫をお願い』も続いたが、そこまでだった。
当時としては、運動の成果は限定的に見えたが、その後の韓国映画の歩みを知る今となっては、この「行動する映画ファン」の決起が、どれだけ歴史的なものだったかがわかる。彼らの行動は映画関係者を動かし、さらに政府も動かした。アート・シアターの建設や助成金制度の誕生は、独立映画や低予算映画が成功するチャンスを広げ、それは一匹狼や新人監督の活躍につながった。
今や世界的に評価される韓国映画の多様性とダイナミズムの背景には、こんなインタラクティブな芸術運動が存在していたのだ。
さらに特筆すべきは、それが韓国の大衆的民主主義とも深く結びつき、政治的にも大きな力を発揮したことだ。「ワラナコ運動」はインターネットを使いこなす20代の若者の間で大きく広がったのだが、この流れは翌年の大統領選挙におけるリベラル派・盧武鉉大統領の勝利へとつながっていく。
2002年の韓国大統領選は「世界最初のインターネット選挙」(ニューヨーク・タイムズ)と言われたように、それまで選挙に関心のなかった若者たちが、ネットを通して仲間を広げ、投票行動を盛り上げていった。まさに時代を先取りする政治現象だった。
「子猫」は実に偉大なリーダーだったのである。
猫は韓国で嫌われていた?
『子猫をお願い』は、映画が撮影された2001年当時の仁川を舞台にしている。IMF不況からの脱出の兆しが見えかかった時期、それもあってか画面は光と闇のコントラストが鮮烈だ。主人公は地元の商業高校を卒業したばかりの仲良しグループ5人組、それまではいつも一緒だった彼女たちが、それぞれ別の人生を歩みだす。
卒業と同時にソウルの証券会社に就職したヘジュ(イ・ヨウォン)、就職せずに家業のサウナを手伝わされているテヒ(ペ・ドゥナ)、タルトンネと呼ばれる都市スラムで祖父母と暮らすジヨン(オク・チヨン)、在韓華僑の双子姉妹であるピリュ(イ・ウンシル)とオンジョ(イ・ウンジュ)、そして子猫のティティ。子猫は5人をつなぐ友情の証なのだが、20年前の韓国で猫のイメージは、今とはずいぶん違っていた。
「猫は神秘的な動物なんだ。家で飼うのはよくないよ。不吉なことが起きるかも」
映画の中でも、のっけからこんなセリフが登場するが、実際に当時の韓国で猫はかなり不人気だった。
「1990年後半にソウルで猫を飼っていたら、韓国の友人たちに気持ち悪いと言われました」
「20年前に日本から猫をつれて韓国に来たときには、韓国の親戚からめちゃ嫌われて。飼うのに反対されまくったので、仕方なく新しい飼い主さんを探したのだけど、韓国人では無理なので、日本人コミュニティで探した」
まさに「猫をお願い」なのだが、こんな話は枚挙に暇がない。
逆に韓国の人から聞かれることも多かった。
「日本人はなんで猫が好きなんですか? 食堂などにも大きな猫の置物があるし」
「大きな猫?」
「お金を持っています」
「お金?」
今は韓国人も猫好きになって、「招き猫」は定番のお土産にもなった。
プロフィール
ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。