韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第6回

『子猫をお願い』が描いた、周辺の物語

猫と女性、仁川と在韓華僑
伊東順子

一度は消滅した、仁川のチャイナタウン

 ピリュとオンジョは華僑の双子姉妹として登場する。仁川といえばチャイナタウンを思い浮かべる人も多いのだが、今のような大規模なチャイナタウンが造成されたのは、『子猫をお願い』が撮影された2001年よりずっと後のことだ。あの頃の韓国はまだ「世界で唯一チャイナタウンのない国」と言われており、それを屈辱に感じた政府と在韓華僑の一部が「チャイナタウン復活」に乗り出していた時期だ。「復活」ということはつまり、以前にはあったものが、なくなったのである。

 映画の冒頭では、DHL(国際宅配便)の大きな荷物を抱えた姉妹が、北城洞の坂を上がっているシーンがある。日本語版には「プクソン町中国人街」という字幕が挿入されているが、それがなければ日本人にはわかりにくいからだろう。二人が一瞬足を止める場面の背景には、豊美食堂の建物が見える。あの頃、唯一の中国的風景として、メディアなどでもよく登場した場所だ。

 双子姉妹は祖父母の家を訪ねる。荷物は中国にいる母親から祖母への贈り物だというのに、祖父の反応はとても冷たい。

 「娘などおらん」

 「じゃあ私たちのママは一体誰の娘なの?」

 「知らん」

 韓国語で話す姉妹に対し、祖父は中国語で答えている。移民者の家族ではよくある光景だ。その後、二人は近所にある中華学校の入口で手作りアクセリーを売る。

 このわずか2分ほどのシーンには当時の在韓華僑をとりまく状況がコンパクトにまとめられている。

 私がはじめてこの町を訪れたのは、映画の撮影の前年、2000年の夏だった。国鉄仁川駅を出て、目の前の坂道を上がっていく。当時、書いたものには「勾配がけっこう急で」とあり、映画でも姉妹が荷物をもって上がるのに苦労していた。

 5分も歩けば、もう背後に海が広がる。観光マップにはチャイナタウンの紹介があり、位置は丘の中腹あたりと地図に記されている。ところが、あたりは軒の低い家が並ぶだけ、チャイナタウンらしきものは見当たらない。もっと先かなあと思っていたら、自由公園の中に入ってしまった。仕方なく来た道を引き返し、さらに探すこと小1時間。どうしても見つからないので、縁台でタバコを吹かしている老人に聞いてみた。

 「中華街はどこですか?」

 「ここだよ」

 「ここですか? だって中華料理店もないのに……」

 ただの住宅地に見えたのだが、よく見たら赤い灯籠をつけた中華料理店が1軒、目に入った。それが映画にも登場する「豊美食堂」だった。

 「みんな、いなくなったのさ」

 老人は昔のチャイナタウンを覚えていた。夕方、船で仁川の港に入ると、丘の中腹の中華街の明かりがキラキラ光って見えたという。そこだけがかたまりのように明るくなっていて、当時の中華街はそれは華やかだったそうだ。

 それがいつなくなったのか?

 老人の話はさっぱり要領を得なかったのだが、私は「豊美食堂」のオーナーの韓さんから話を聞くことができた。在韓4世である彼は華僑の歴史をもっともよく知る人だった。

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プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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