はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第3回【後編】

ちゃんと「おりる」思想

飯田朔

 

9 「生きなおす」という考え方とその背景

 

 ここまで考えてきた「生きなおす」という考えをまとめておきたい。

 「生きなおす」とは、一度社会的な意味での「死」を経験した個人が、もう一度今度は自分なりの方法で生きようと試みる考え方であり、「生き残る」発想と対立する。「生きなおす」について、「生き残る」と対比させつつ、その内容をまとめると次のようになる。

 1、「生きなおす」は、社会的な「死」を経験した後どう生きるか、を考える思考であることから、「○○しないと大変なことになる」という競争主義が仕掛ける脅しの機能を無効化する。

 2、「生き残る」が「相手ルール」(他人の価値観)を優先させるのに対し、「生きなおす」は「自分ルール」(自分のペースや本質)に軸足を置く。

 3、ただし、「生きなおす」が重視する自分のペースや本質とは、ただ単に「好きなこと」や「夢」を追いかける発想ではなく、「自分が苦痛になるようなことはしない」というバランス感覚を伴うものと考える。

 このまとめに加えて、ぼくが少し考えているのは、競争主義的な「生き残る」考え方が「死んだら終わり」と、人生を「1回きり」で捉え、いかに死なないようにするかを追求する発想であるのに対して、「生きなおす」は自分は一度すでに死んだことがあり、その上で今度は自分のやり方で「もう1回」生きてみる、という考え方になっており、いわば人生を「1回きり」で捉えるのか、「もう1回」で捉えるのか、そんな両者の違いがあるのかもしれない、ということだ。「生きなおす」の中には、言ってみれば、人生を「2周目」で生きる感覚があり、そこから見ると「生き残る」考え方は、思考が「1周目」で固定され、「1回きりの人生」の中でひたすら不毛な競争をさせられる発想に思えてくる。

 今回は、個人の中に「生きなおす」発想が出てくる背景、なぜこういう考え方が出てくるのかについては、それほど考えられなかったのだが、いまよく注意して本を読んでいると、色々なところで、今回の話と重なる、社会や時代の「変化」が語られていることに気がつく。

 例えば、坂口恭平の『現実脱出論』(2014年、講談社現代新書)という本がある。この本では、いまは、人が集団で生きるために作り上げた「現実」という枠組みが肥大化し、個人が持っている固有の知覚や思考といったものが排除されるようになってきている、と書かれている。ぼくには、坂口が言う「現実」の領域から排除される個々人の知覚や思考というものが、今回の話でいう抑圧されてしまう自分ルール(自分のペースや本質)と重なり合う部分があると思えた。

 タイトルの「現実脱出」という言葉には、「これまで蓋をしたり、存在を体感しているのに現実的ではないと切り捨ててきたことを直視してみる」という意味を込めたとしており、坂口は、「現実」の肥大化の問題に対して、どう人が自らの思考や知覚を「切り接ぎ」しないで生きていけるか、また、個々人がそうした固有の感覚を切断せずに社会形成をするにはどうしたらいいかを自分の経験から考え抜いている。

 また、精神科医の青木省三が書いた『時代が締め出すこころ──精神科外来から見えること』(2011年、岩波書店)という本にも、今回の話と通じる指摘がある。青木は、自身の診察室を訪れる人たちの傾向や背景から、いまは時代の主流派や多数派に合わない人たちが、社会の中で孤立し、病気や障害として顕在化する、つまり破綻を来したり、医師によって過剰診断される、といったことが起きているのではないか、と考察する。

 青木のもとには、長年会社員として働いてきた人や職人として生きてきた人が、実際には診断基準に合わない「発達障害」などを自分で疑い、相談しに来るケースがあり、青木はそうした事例から、いまの社会は職人のような一定の才能を持つ人たちを破綻させる方向に向かわせる「生きる幅の狭い世界」を作っているんじゃないか、と考える。

 ぼくには、この「生きる幅の狭い世界」という言葉にひとつ手がかりがあるように思えている。いまはどういうわけか社会そのものの、ある側面での許容範囲が狭まってきていて、その中で、個々人が持つ思考やペースが弾かれやすくなってきているのかもしれない。いまのところ、ぼくにはこれ以上詳しいことは分からないが、今後考えていけたらと思う。

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 「無職」の窓から世界を見る 第3回【前編】
“祖父の書庫”探検記 第3回  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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