「『無職』の窓から世界を見る」との両論で進む連載「“祖父の書庫”探検記」は、肩書や所属を持たない著者が、祖父が残したぼう大な書物の山に分け入り、現代社会を読み解く手がかりを探す記録だ。
ところで、そもそも「ぼう大な書物の山」を残した祖父とは何者なのか。著者曰く、めっぽう変わった人物のようで……。
祖父は「物書き」「評論家」などと呼ばれる人だが、ぼくは以前からそれらに違和感を覚えることがあった。たしかに祖父は文章を書き、生前に多くの著作を出した。けれどそれ以前に、彼はいわゆる「物書き」の枠からどこかはみ出る、過剰な性質を持った人でもあると思えたからだ。
これまでこの連載では、物書きだった祖父の書庫で見つけた本について書いてきたが、今回は書庫の主であった祖父本人について紹介する。祖父は、いま特に再注目されている書き手というわけではないが、ここまで連載を読んでくれた人の中には、飯田の祖父はどんな人物だったのか、と素朴に気になった人もいたのではないかと思う。
じつは、ぼくはこの連載を進めることと並行して、この1、2年初めて祖父の著作を何冊か手に取り、読んでみた。当初この連載では、書庫に置かれた無数の本の中から何か面白そうなものを探そう、というくらいに考えていたのだが、祖父が書いた本を読むうちに、徐々に書庫に置かれた本と祖父個人とが重なって見えるようになってきた。そこで、今回は、一度祖父のことを取り上げ、そこから見えてくるものについて考えてみようと思うのだ。
ぼくの祖父は飯田桃という。平仮名の「いいだもも」という表記で、戦後おもにマルクス主義の物書きとして活動した。
1926年(大正15年)に東京で生まれ、42年に旧制第一高等学校に入学、戦後は日本共産党に入り(65年に除名)、政治運動と並行して小説や評論を発表するようになった。60年代には、雑誌「思想の科学」やベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」)に参加したり、共産主義労働者党という左派の運動に携わるなどした。79年には雑誌「季刊クライシス」の創刊に、90年にはフォーラム90’sの発足にかかわった。祖父が亡くなったのは、2011年の東日本大震災直後の3月末のことで、時代としては大正から平成までを生きた人である。
ももの主な著作は、政治思想や歴史に関連した評論であるが、初期は小説や詩も書いていた。ももの旧制一高時代の友人であり詩人の中村稔によると、ももは、物書きとして活動を始めた当初は文学的な方面でも執筆を行っていたが、次第に政治的な方面へより関心を深める転換があったという(いいだももさんを偲ぶ会編『鬼才 いいだもも』2012年、論創社)。祖父の物書きとしてのデビュー作は小説『斥候よ 夜はなお長きや』(1961年、角川書店)である。小説としては他に、原子爆弾を投下した米軍兵士パイロットを主人公に描く『アメリカの英雄』(1965年、河出書房新社)などがある。一方評論としては、初期の『モダン日本の原思想』(1963年、七曜社)や80年代にマルクス主義とエコロジーの関係を提起した『エコロジーとマルクス主義』(1982年、緑風出版)などがある。90年代後半から晩年の2000年代にかけてはソ連崩壊を受けて書いた『20世紀の〈社会主義〉とは何であったか──21世紀のオルタナティヴへの助走』(1997年、論創社)等、自身の執筆の集大成といえる大著を書き継いだ。
祖父は、70年頃から祖母(飯田玲子)と息子ふたり(ぼくの父と叔父)とともに神奈川県藤沢の家に暮らしたのだが、89年頃(ぼくが生まれた頃)に母屋の横にこの連載で紹介してきた書庫を建てたという。2011年に祖父が亡くなってから現在まで、祖母は同じ家で一人暮らしをしており、ぼくは時々祖母を訪ねがてら家の横にある、祖父の書庫に入って本を見て回っている。
書庫は2階建てのぱっと見一軒家のようなしっかりとした建物で、1階と2階ともに本棚が設置され、文系理系を問わず様々な分野の本が置かれている。書庫に置かれた本の数々は、祖父の雑多で幅広い興味を反映しており、特にぼくが見て回った中では民俗学や差別史、農学や植物学といったジャンルの本が充実していることに目を引かれた。
1階部分には、書斎机にトイレ、小さなキッチンまであり、旧式のエアコンやコピー機、本を上げ下げするためのクレーンなどがそのまま残されていて、どことなくバブル期の名残のような雰囲気が漂う。ともかく、そんな設備が充実していた書庫も、いつからか祖父が棚に入りきらなくなった本を床に積むようになり、各所に人の腰の高さほどの本の小山ができあがり、いまやキッチンなどはそれらの本によって埋め尽くされて見ることもできない。さながら本の洪水のような混沌とした状態だ。
これほど多くの本を買っては読み、積み上げ、ほぼ未整理のまま置き去りにしていった祖父、この書庫の主は、一体どんな人物だったのか。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。