はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第3回【前編】

ちゃんと「おりる」思想

飯田朔

「なんでもない人」の視点から映画や小説などの作品を取り上げてきた「はしっこ世界論 『無職』の窓から世界を見る」。サヴァイヴ、生き残る思想が孕む問題を指摘した前回を引き受け、第3回ではその先に見えた「生きなおす」思想の可能性を考える。一度死ぬこと、ひきこもること、苦痛になることをやらないこと……。

何者でもないからこそ見出すことができた「普通」以外の生き方、その可能性とは。

 

 

 日本の巷では、どうやって生き残るか、もしくは、いかにこの社会の表舞台から振り落とされないように努力し続けるか、そんなことばかりが言われている気がする。

 けれどぼくは、「生き残る」より、むしろどう「おりる」かの方が重要だと思う。

 べつに、達観して仙人にでもなろう、と言いたいわけではなく、人がこの社会で自分のペースを大事にし、無理なく生きていくために必要な要素として、いま「生き残る=競争の中で自分をどう生かすか」とは真逆の考え方が浮かび上がってきている、と言いたいのだ。

 「でも、いまは厳しい時代なのだから、『いかに生き残るか』を考えることが何より重要だ」と感じる人がいるかもしれない。しかし、ぼくは、「生き残る」という考え方には重大な欠陥があると思っているし、そうした考え方の限界を知り、それ以外の道を模索し、自分なりの生き方を実践している人たちがいることを知っている。

 今回は、ぼくがこの10年ほどの間に読んできた、何人かの日本の書き手による本を取り上げ、いま水面下で現れてきている、競争主義とは対立する、もうひとつの思考について考えたい。

コロナ禍で始めたランニングをしている、公園のトラック

 ぼくがこんなことを頭に思い浮かべるようになったのは、大体この10年ほどのことだ。

 9年前に大学を卒業してからいまに至るまで、ぼくはほとんどの期間を東京の実家で暮らしてきた。普段はアルバイトの塾講師などをしていたのだが、自分の気持ちはつねに「ひきこもり」に近いようなものがあり、社会の中で漂流している感覚があった。

 そういう感覚は、2008年に大学に入ったときから始まった。大学に入ってすぐ、授業にも、教員にも、学生にも違和感を持ち、大学2年のときに学校へ行くのが嫌になり、1年間ほど「不登校」になってしまったのである。

 いまにして思うと、ぼくは日本の社会の空気を「大学」という空間を通して感じ取っていたのだと思う。当時大学では、建築史的にも意義のある美しい古い校舎が取り壊されたり、学生会館やラウンジなど学生が自由に使えたスペースへの管理が強くなったり、教員は激務で疲れ果てている人が多く見られたりした。そうしたあれこれは、その後の東京各地で行われている、昭和の焼き直しのような再開発ラッシュであるとか、ジェントリフィケーションと呼ばれる現象、日本社会の過重労働の問題などと重なって見えるところがあった。

 ぼくは、前に別の文章でも書いたが、そうした大学への違和感に加え、日本で「普通」とされる「就職して働く」生き方もどうも自分はできそうにないと思っていた。だから、この10年ほどの年月は、ぼくにとってとても普通とは思えない、この社会の「普通」以外の生き方やものの考え方はないのか、とつねに模索する日々だった。

 前回は、そうした自分が感じた社会への違和感を「サヴァイヴ/生き残り」という競争主義の点から考えてみたが、この10年ほどの時間の中で、ひとつ気がついたのは、いまは、競争主義的な考え方が力を持つ一方で、それとは真逆の考え方が出てきている、ということだった。

 そのことをぼくは、実家で暮らしながら本や漫画を読んだり、映画を観たり、また時には遠いところへ足を運び面白いことをしている人たちと出会ったりして、徐々に考えるようになった。とくに、ぼくよりいくぶん年上の、何人かの日本の著作家の本には、いま日本で普通とされる生き方や競争主義とは違う、自分なりの生き方を考え、実践する内容のものがあり、大きな刺激を受けた。今回取り上げたい本とは、こうした人たちによるものだ。

 それらの本は、学者とか評論家によるものではなく、ひきこもりの当事者や、作家を辞めて実家へ戻った人、小商い的な生活をしている人など、バラバラの個人によって書かれている。ぼくにとっては、こうした人たちが書いた文章は、山登りのルートに誰かが設置しておいてくれたロープやベンチのようなものと感じられ、無駄にしんどい世の中で遭難したり、自分をすり減らす生活をしないための助けになる内容だと思えた。

 今回は、これらの本を通していまの社会で競争主義とはまったく違った考え方が出てきていること、それがどんな中身を持ったものなのかを考えてみたい(この連載では、これまで主に映画を扱ってきたが、この第3回は映画ではなく書籍を取り上げる)。

 今回取り上げる本には、いまの日本のしんどさに直面した個人が、この社会でどう生きるかを自分なりのやり方で考え抜いた、ひとつの「思想」とさえ呼べる内容が含まれていると感じる。だから今回は、それぞれの本について紹介しつつも、より多くの人が共有でき、議論を深められるような要素を見出すことを意識していきたい。

 いまの社会に何かしら「しんどい」感覚を覚えている人には、そういう状況から脱するためのブックガイドとして読んでもらえたらと思っているし、思想や評論などに興味がある人には、いわゆる思想家、哲学者とは違う分野で面白い考えを展開している人たちがいることに目を向ける契機にしてもらえたらと思う。

 本題の前に、ひとつだけことわっておくと、今回の文章では、ぼくは前回に引き続き、人を競争に駆り立てるような考え方を批判している。この文章では、そのような競争主義のことを、「サヴァイヴ」、「生き残る/生き残り」もしくは単に「競争主義」といくつかの用語を使って書いている。では、始めよう。

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 “祖父の書庫”探検記 第2回
「無職」の窓から世界を見る 第3回【後編】 
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔

塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。 

 
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