はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第3回【後編】

ちゃんと「おりる」思想

飯田朔

 

おわりに 「普通」を問い直す思想

 

 今回書いたことは、大体3年くらい前から書こうと思っていた内容で、何者でもない視点から映画や小説、社会について考える、というこの連載の根っこのテーマについて書く回になった。そのため、ぼくが書きたかったことを勢いでドーンと書いてしまった実感があり、時代や社会への考察を含め、“よちよち歩き”の部分が多く、この先もう少し考えを詰めていきたいとは思っている。

 ぼくは、この10年ほどの間、世の中の「普通」以外の生き方がないのか、という気持ちから、今回取り上げた人たちが書いたような、「生き方本」や「エッセイ漫画」を読むことが多くあり、それらの本には、時々互いに共通する「考えの型」のようなものがある、と思えていた。今回は、ともするとただの「生き方本」と思われていそうな本の中から見える重要な考え方を、ちゃんとひとつの「思想」として取り出してみたい、という動機があった。

 思想というと、学者や評論家のような人たちが書く、難しい文章を思い浮かべる人がいるかもしれないが、ぼくにとって思想とは、何らかの社会の問題に直面した人たちが、試行錯誤する中で、自分なりに「応答」しようとすること、のように思える。また、その「応答」とは、しっかりした中身があるもので、時代や地域を隔てた人たちの間で共有されうる、というイメージがある。今回取り上げた人たちの本は、どれも書いている人が試行錯誤の末に、社会に対してひとつの「応答」をした、という内容を持つ本だと思える。

 ここまで書いてきた「一度死んで、生きなおす」とは、ただ単に「好きなことをして生きる」とか「個性が大事」という考え方ではなく、いまの世の中で、「普通」に生きようとすると知らず知らずのうちに個人を侵食してくる、マッチョな要素から離脱する=「おりる」、そんな側面を持つ考え方だと思う。

この1年半、来る日も来る日もひたすら散歩し続けた、近所の道

 この10年、ぼくは勝山や道草、豊島、伊藤らの本を読んだりする中で、徐々に肩の力を抜くことができるようになった。年収とかステータス的な面で安定しているとはまったく言い難いのだが、自分の気持ちの面では、楽に過ごすことができるようになった。

 けれど、いざ社会の方を振り向くと、社会はぼくが考えているような発想とは逆行していっていると感じる。2011年の3.11から安倍政権の7年8か月を経て、2020年からは日本でもコロナウイルスが流行し、そういう中で競争主義や自己啓発、差別主義や陰謀論の方向へ行ってしまう人が多くなっていると思える。ぼく自身やこの社会で生きる一部の人たちは、「競争」の考え方の不毛さに気がつき、「おりる」ことの重要性を認識してきていると思うのだが、社会一般の様子は相変わらずどころか、ますます反対の方向へ向かっていると感じるのだ。

 だから、今回「生きなおす」という考え方をしつこく取り出そうとしたのは、いまの社会の流れに対して「いい加減にしろよ」、「いつまでもくだらないことを言ってるな」と言いたい苛立ち、我慢の限界のような面があり、競争的な考え方に対して、まったく違った思想を取り出し、ぶつけてやろう、という理由があった。

 また、もうひとつ思うのは、「おりる」という感覚は、「ひどい職場を辞める」とか「都市から田舎へ移住する」とか、色々な形で広まってきているとは思えるのだが、それでも、いまひとつ深まっていないんじゃないか、ということだ。いわば“なんちゃって”の「生きなおす」、「おりる」発想は世にあふれていて、例えば、転職や資格取得、株で儲けるだの、NPO就職、田舎暮らし、ユーチューバー…など色々言われているが、気をつけないとそれらの中身は激務であったりして、過重労働の会社で働くのと変わらない場合がある。個人が「生き残る」から抜け出そうとして、また同じ地点に回収されてしまう状況が広がっている。だから、“なんちゃって”ではなく、「生き残る」に回収されないための、“ちゃんと”「おりる」思想を作っておく必要があると思うのだ。

 「一度死んで、生きなおす」は、もう一度生まれ変わってグレートな人間になってやる、という考え方ではなく、むしろ「一度死んで」の部分に重点がおかれており、ゾンビになってよみがえった人が、自分は一度死んだ(生き残れなかったなあ)という実感をかみしめながら、派手ではないが自分のペースに即した、ゾンビなりの人生をもう1回やってみよう、と考え直す発想だ。

 ただし、これは世を拗ねたり、自分は日陰で生きていく、といういじけた感覚ではなく、こっちの方が本当は「普通」なんじゃないの? と世の中に問い直す、ぬけぬけとした一面を持つ思想だと思う。

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 「無職」の窓から世界を見る 第3回【前編】
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔

塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。 

 
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