【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第三回

「日本人の自覚」を求めるとむしろヘイトを煽る 元文部科学事務次官・前川喜平氏に訊く③

前川喜平 × 青木理
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教育基本法の改定の準備は小泉純一郎政権期にはじまっていた

 

――それでも現場の教師は道徳の成績をつけなければなりません。客観的評価ではなく、記述式でやるそうですが。

前川 道徳の評価に関しては、学習到達度をひとつの尺度で測って100点とか60点などと評価することはできません。そもそも数値による評価なんてできるものではないし、やってはいけないんです。だから評価するなら記述式でやるしかないということになる。40人の生徒がいたら、40人について記述式で書く。どういう観点で記述するかというと、あくまでも個人内評価です。ほかの子と比べてどうだとか、絶対的基準に照らしてどこまで到達したかという評価などできません。その子が以前と比べてどういうふうに成長したか、道徳的成長の記録をつけてくれというわけです。怖いのは、まさに「愛国心が高まりました」などという評価がされてしまう恐れがあることですが……。

――しかし、すでにおかしなことが起きているそうですよ。知人の教師に聞いた話ですが、教師といってもピンからキリまでいますから、道徳の評価と称して妙なことを書かれても困る。だから教育委員会や校長などが統一的な記述用の文言を作っておいて、それを教師に使わせるという動きもあるとか。さらに言うと、道徳の評価記述の参考書みたいなものが売り出されていて、先生はそれをコピペするだけでオッケーだとか(笑)。

前川 そうなってしまうでしょうね。もともとできないことをやれというのに等しいわけですから。私は当初から「ミッション・インポッシブルだ」と言っていたんです。政治の世界に向けては「評価はします」と言い訳をしているんですが、昔の修身科のように甲乙丙で評価などできませんし、それでも「評価はします」と言うために苦肉の策で編み出されたのが個人内評価の記述式。しかし、40人の子どもひとりひとりの道徳的成長を記述式で評価しろなんて無理です。結局は紋切り型の定型文みたいなのを作り、そこに適当に当てはめていくことになりかねない。ならば、それぞれの子どもの良いところを探して褒めてあげたらいいと私は思いますよ。友だちに優しくしたとか、授業中に良い発言をしたとか、親も納得するようなものをひとりひとりについて見つけてあげて、こういうこともできるようになったと褒めてやればそれで十分なんじゃないでしょうか。

――なんだかバカげた話に思えてきますが、今回の道徳の教科化の動きは森喜朗政権期に顕在化し、第2次安倍政権で成し遂げられたわけですが、文科行政に最も直接的な影響を与えた政治家は誰ですか。

前川 それはやはり下村博文(はくぶん)さんでしょう。3年近くも文科大臣をやりましたから。そんな大臣は珍しい。最近は1年ほどで次々代わりましたからね。さらにさかのぼっていけば、やはり森政権の教育改革国民会議、そして第1次安倍政権の教育再生会議が大きな影響を及ぼしました。

――第1次安倍政権では教育基本法の改定も行われましたね。これは重大な動きでした。

前川 教育基本法の改定もしたし、教育3法といわれるもの、学校教育法とか免許法などの改定も行われました。ただ、教育基本法の改定や道徳の教科化については森政権から言われていたことです。教育基本法の改定は第1次安倍政権で行われましたが、改定の法案は小泉純一郎政権期に国会に提出されていたんです。

――確かに、改定教育基本法が施行されたのは第1次安倍政権の2006年12月ですが、改定案そのものは同年4月、小泉政権が閣議決定して国会に提出されていますね。

前川 でも、小泉首相ご自身は教育基本法の改定にほとんど関心がなかったと思います。

――そうなんですか。

前川 ええ。中曽根さんや森さんに尻を叩かれていたんでしょう。小泉政権の最初の文科大臣は遠山敦子さん。文部官僚出身です。そして遠山さんも、いい意味で保守的な文部官僚でしたから、教育基本法の改定は下手にやらない方がいいという警戒心をお持ちだったはずです。だから慎重にやられていましたが、中曽根さんや森さんに圧力をかけられ、最終的には中央教育審議会に諮問をして議論を進め、第1次安倍政権期に結実したわけです。一方、道徳の教科化は、もちろん中教審での議論などは必要になってきますが、国会を通さなければいけないものではありませんから、やろうと思えばさほど時間をかけずにできたんです。ところが、第1次安倍政権の教育再生会議があらためて道徳の教科化を打ち出したにもかかわらず、文科省は踏み出そうとしませんでした。

――それはなぜですか。

前川 第1次安倍政権の文科大臣だった伊吹文明(ぶんめい)さんによるところが大きかったと思います。伊吹さんは、教育基本法や教育3法の改定については納得していたものの、道徳の教科化には反対だった。伊吹さんご自身からきちんとうかがったことはありませんが、伊吹さんにとっての道徳教育というのは教育勅語ではないんですね。日本会議のような連中が重視する「伝統」とか教育勅語なんていうものは、せいぜいが明治20年代から敗戦までの50年ほどのものであって、日本社会にはもっと古くから培われてきた道徳があるというのが伊吹さんのお考え。よく口にされていたのは「商人道」です。

――というと?

前川 あきんど(商人)の道ですね。伊吹さんは京都の商家のご出身ですから。武士には武士道があって、なんだか威張っているけれど、商人には商人の道徳があったんだと。たとえば近江商人の「三方よし」です。売り手よし、買い手よし、世間もよし。自分だけが儲かればいいんじゃなく、売り手も買い手も、そして世間一般もそれで潤うという商人道のようなものを、そういう道徳を見直さなきゃいかんのだと、そういうお考えでした。そうすると教育勅語じゃない。やはり修身の復活のようなことはすべきでないと。そういう真っ当なところがある政治家でしたね。

――そういえば、第2次安倍政権で再び文科大臣への就任を打診された伊吹さんが固辞した際のエピソードが一部メディアで話題になったことがありますね。すでに衆院議長も経験していた伊吹さんは、「内閣が誤った権力行使をしていないかチェックすべき立場にある立法府の長の経験者が入閣するのは好ましくない」と。

前川 ええ。彼はそういう自己抑制が必要だという、政治家としての一定の倫理観をお持ちでした。

――だから第1次安倍政権で道徳の教科化という方向にいかなかったと。

前川 それが大きいと私は思います。ところが第2次安倍政権になった際、教育再生実行会議が作られます。教育再生会議の提言が実行されなかったから「実行」と入れたわけです。その筆頭が道徳の教科化。いじめ問題に絡めて推進されました。

――滋賀県大津市の中学生が2011年10月に自殺してしまった件ですね。市の教育委員会はいじめと自殺の因果関係は不明としていましたが、生徒の両親が市や元同級生らを提訴し、最終的には市の第三者委員会が「いじめが自殺の直接的要因」とする報告書をまとめ、大きな問題になりました。

前川 ええ。つまり、いじめ問題をいわばテコに使って、だから道徳教育が必要なんだと訴えた。道徳を教科化することでいじめも解決するというような理屈をひねり出したんです。

――これもバカげた話です。実際に現在もいじめ問題は起きている。それにしても、森元首相を筆頭にして「イケイケコンビ」に至るまで、文教族と呼ばれるような議員にはおかしな連中が多いですね。文科官僚としてはたまらないんじゃないですか(笑)。

前川 まあ、イケイケコンビなんていうのはひどいもので、学校は愛国心教育だけをやっていればいいと思っているような人ですから、ハッキリ言って頭は空っぽですよ(苦笑)。でも、馳浩さんのようになかなか立派な方もいる。

――馳浩さんですか。彼は元プロレスラーで、第2次安倍政権の2015年10月から1年ほど文科大臣を務めています。少し意外ですが、ちょうど前川さんが事務次官に就かれたころですか。

前川 馳さんは元プロレスラーですが、高等学校で古文や漢文を教えた教師でもある。そして、マイノリティに対して非常に温かいまなざしも持っていらっしゃいました。文教族と呼ばれるほかの議員が歯牙にもかけないような問題にも一生懸命で、夜間中学もそうでしたし、フリースクールもそう、LGBT(性的少数者など)の問題などにも取り組んでいました。朝鮮学校にも強いシンパシーを抱いていて、かつて田中真紀子さんが衆院文部科学委員長だったとき、一緒に朝鮮学校を視察したこともあります。

 

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【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

プロフィール

前川喜平 × 青木理

 

前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。

青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

 
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