【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第三回

「日本人の自覚」を求めるとむしろヘイトを煽る 元文部科学事務次官・前川喜平氏に訊く③

前川喜平 × 青木理
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〝国定教材〟に持ち込まれた「江戸しぐさ」

 

前川 ええ、使いようです。それに今回、教科書を使った道徳の授業がはじまりますと言っても、それ以前から副教材というか、一種の教材がすでに使われてきた経緯もあります。たとえば文部科学省が作成した『私たちの道徳』という、いわば“国定教科書”まであったんですから。

――そんなものを文科省が作ったんですか。

前川 私が初等中等教育局長のときに作らされました。これを全国の各小学校に、生徒の数だけ配ったんですよ。強制力はありませんけれど「必ず使ってくれ」と言って。これも下村博文さんの肝いりでした。

――また下村文科大臣。

前川 要するに教科化の地ならしのためです。実は『私たちの道徳』の前には『心のノート』という教材があって、これは子どもたちが自分で記入する体裁で読み物資料は入っていませんでした。一方、『私たちの道徳』は読み物資料を集めた教材で、さまざまな副教材で使われていたものも詰め込んだんですが、新機軸で新しいものを入れようとして大失敗したのが「江戸しぐさ」です。

――江戸しぐさ? 江戸時代の人々が他人とすれ違う際に傘を傾けたといった“美風”をかき集めた「江戸しぐさ」は、きちんとした史実に基づかないデタラメだと広く指弾されていますよね。

前川 ええ。右派政治家たちが喜ぶだろうというので、わざわざ取り入れたわけですけれど、あんなものは伝統でもなんでもない創作物だったことがあとになってわかってしまったんです。

――「江戸しぐさ」入りの道徳教材を作った際、前川さんが初等中等教育局長で、実際の担当課は?

前川 教育課程課です。ここが事務局になって、編集委員会のようなものを作ったんですね。私が局長でしたから責任は免れないのですが、実際には大臣と担当課の間で直接やりとりしていて、私の意向が入る余地はありませんでした。編集委員には日本会議に近いような人たち、下村さんが気に入った人たちや、専門家と称する人が多かったと思います。私としては最低限、自由の大切さがきちんとわかる教材は入れて欲しいとだけは注文をつけていたんですが、実際にできあがったものには、自由そのものの価値については何も書いてありませんでした。

――それにしても、妙な価値観を押しつける道徳の教科化そのものも問題ですが、「江戸しぐさ」のような史実に基づかないデタラメを“国定教材”に堂々と盛り込み、全国の全生徒に配布したというのは驚きですし、責任は重大ですね。多額の税金だって投入されたわけでしょう。

前川 はい。私は担当局長でしたから、その責任は免れないと思っています。一方、大臣だろうが文科省だろうが、これを使わせるという強制権限などありません。なのに下村大臣は、この『私たちの道徳』をひとりひとりの児童生徒に配り、必ず家に持って帰らせろとおっしゃって。しかも親子でそれを勉強しろとまでおっしゃっていた。つまり家庭教育にまで影響を及ぼそうとしていたんです。ところが、少し経ってから下村さんがある学校を視察に行ったら、『私たちの道徳』が教室のうしろにボンと積まれたままになっていた(笑)。それを見て下村さんは怒り狂って、「こんなことじゃダメだ」とかおっしゃられて、確か通知を出したはずです。きちんと子どもたちひとりひとりに渡して家へ持ち帰らせなさいとかなんとかいう通知を。

――もうめちゃくちゃだ(苦笑)。

 

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【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

プロフィール

前川喜平 × 青木理

 

前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。

青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

 
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