自己犠牲を説く道徳テキスト「星野君の二塁打」をどう使うか
――そうだったんですか。ただ、馳さんが文科大臣になる前の段階、下村博文文科大臣の時期に道徳の教科化は決定してしまいました。もう少し踏み込んだ話をうかがいたいのですが、道徳の教科書について少し前、「星野君の二塁打」という教材が話題になりましたね。子どもの野球大会で星野君が監督から送りバントのサインを出されたのに……。
前川 そう、送りバントのサインが出ていたけれども、自分の機転でバッティングをして二塁打を放つ。その結果、チームも勝った。なのに次の試合は出場できなくなって……。
――星野君は監督から「犠牲の精神がわからない人間は社会を良くすることができない」と言われ、次の大会ではメンバーから外された……というストーリーです。先ほどのお話にも出た憲法の価値から言えば、これもその枠を完全に踏み外しているでしょう。
前川 はみ出しています。文部科学省はいま、「考え議論する道徳に転換してください」という言い方をしているんです。かくあるべしという道徳を教え込むのではなく、子どもたちが自ら考え、子どもたち同士で議論する、そういう道徳に転換すると言っている。ところが検定を受けて出てきた教科書を見ると、ひとつの考え方をすり込むような教材も目立つ。「星野君の二塁打」は要するに「監督の言うことを聞け」「指示や決まりを守れ」というお話ですね。さもないとペナルティを課すと。こんなことを真に受けていたら日本中の学校が日大アメフト部になってしまう(苦笑)。
――まったくです(苦笑)。しかし、あくまでも教科書ですから、現場の教師が「星野君の行動は悪くない」と教えても構わないわけでしょう。
前川 そうです。この教科書をどう使うかは、現場の先生方の力量次第です。少し前にNHKの『クローズアップ現代+』を見ていたら、まさに「星野君の二塁打」を使った授業の風景を紹介していました。登場したベテランの女性教師がなかなか興味深かったのですが、まず授業の前に同僚教師に対して「この話は納得できない」と言っている。授業の中では子どもたちに意見を聞いて、ある子どもは「僕はやっぱり監督の言う通りバントします」と言って、別の子どもは「打てると思えば打っていいんじゃないですか」と言う。最後には、賢そうな感じの女の子がアウフヘーベンするようなことを言うわけです。「決まりを守るのは大事なことですが、いつも守らなければいけないわけじゃない」って(笑)。そういう議論をすることこそ文部科学省が現場に発しているメッセージですから、非常に好ましいなと思いました。それに「中断読み」という言葉もあるんです。
――「中断読み」ですか?
前川 はい。途中まで読んで、そこで考えるから「中断読み」。「星野君の二塁打」に沿って言えば、星野君自身は打てるという自信があって、実際に絶好球が投げられてきた。そこでストップモーションをかけて、みなさんが星野君だったらどうするかを考えさせる。「やっぱり監督の言う通りにした方がいい」と考える子がいる一方、「自分で打てると思うなら打った方がいい」という考えの子もいるだろうし、野球の戦術などに詳しければ、セーフティバントという選択肢だってある。自分だったらどうするか、実にさまざまな選択肢があって、それを出し合って議論すればいい。『クローズアップ現代+』で紹介された先生は、まさにそれをやったんですね。さらに発展させれば、最終的に星野君が打ってチームは勝ったわけですから、監督だったらなんと言うかを考えさせてもいい。褒めるべきか、叱るべきか。
――しかし、「星野君の二塁打」という教材の結末は、監督が星野君にペナルティを科して次の大会には出場させなかった、というストーリーになってしまっていますよ。
前川 ならば、次の大会に星野君を出場させないペナルティを科すことについて、もしチームのキャプテンだったらどうするかを考えさせてもいいでしょう。すべては監督の言う通りであって、指示を守らなかったからペナルティは当然だというなら、まさに日大アメフト部になってしまうわけです。そうではなく、星野君はちゃんと結果を出したじゃないですかとキャプテンが監督に抗議するという選択肢だってありえるでしょう。
――そう考えると、どんな教材も使いようだと。
近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。
プロフィール
前川喜平(まえかわ・きへい)
1955年奈良県生まれ。元文部科学事務次官。2017年に退官。著書に『面従腹背』(毎日新聞出版)、共著に『ハッキリ言わせていただきます!黙って見過ごすわけにはいかない日本の問題』(谷口真由美氏との共著/集英社)、『これからの日本、これからの教育』(寺脇研氏との共著/ちくま新書)、『同調圧力』(望月衣塑子氏、マーティン・ファクラー氏との共著/角川新書)等多数。
青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。