現代のテーレマコスたち
前回、英雄物語の原型として『オデュッセイア』に触れた。そこで気にしたのは、主人公のオデュッセウスだけではなくその息子のテーレマコスのことであった。テーレマコスは帰還しない父オデュッセウスを探す旅に出かけ、最終的にはそれに成功する。このテーレマコス的物語、つまり父探しの物語は、ヒーロー物語において重要な位置を占めている。
とりわけ、MCUにおいては父探しの物語とその失敗(それについては次回)が重大なテーマ、そして物語のある種の限界となっている。今回は「アイアンマン」シリーズに限ってそのことを論じよう。
父探しの物語は、当然のことながら、基本的には保守的物語である。だが、「アイアンマン」シリーズにおけるそれは、やはりここまで論じてきた通り、保守的なもの(南部的でマッチョと呼んだもの)と先進的なもの(西海岸的でリベラルと呼んだもの)との「和解」へと導かれている。
ここで言っているのは、『アイアンマン2』の物語だ。『アイアンマン2』では、アークリアクターの動力源の物質パラジウムが発する毒素にトニーの身体が蝕まれる。結果、彼は会社の経営を秘書のペッパーに譲る。
ところがその間に、スターク一族を恨むイワン・ヴァンコがアークリアクターの技術を再現してみせたために、世界の人びとはトニーがリアクターの技術を独占しているのではないかという疑念を持つ。トニーはヒーローとしての立場を疑われ、自堕落になって友人たちも含めた人びとの信用を失ってしまう。
そんなトニーを救うのが、彼の父ハワード・スタークであった。ハワードに愛されていなかったと思いこんでいたトニーだが、残されたビデオでそうではなかったことを発見する。それと同時に、ハワードがエキスポの会場模型の形で残していた新元素の設計図(当時の技術では生成は不可能だった)を発見し、それをもとに新元素を生成することによってトニーはパラジウム中毒を克服し、ヒーローとして復活する。
重要なポイントは、父との和解の中心に新元素の設計図があることだろう。新元素とそれに基づくテクノロジーは、上記の図では、西海岸的なスマートな技術に属する。トニーにとっての父は、そのようなスマートな技術の理解者ではなく、むしろマッチョな介入主義を象徴する存在だった。だが実際は、そうではなかった。この発見が和解をもたらすのである。
言い換えれば、これは息子と父との和解であるとともに、前の図に示したような、二世代の異なる資本主義の和解でもある。正確には和解というよりは、新しい資本主義(図の右側)が古い資本主義(図の左側)を吸収していると見た方がいいだろう。
ハワード・スタークは古い資本主義に属すると思われていたのが、じつはそうではなかったという一種の詐術がここでは使われている。彼は、旧来的な産業を司る存在ではなく、「さらにクリーンなエネルギー」をもたらす存在へとすり替えられる。
以上のように、「アイアンマン」シリーズにおけるテーレマコス的な物語にも、本論で論じてきたような二種類のアメリカのあいだの和解を見いだすことが可能である。多重の意味が積み重ねられた対立の解消であるがゆえに、トニーとハワードとの和解は重みを持ちうるのだ。
だが、時代が下るにつれて、そのような物語は不可能になっていく。それは、MCUの中での別の(擬似的な)父と息子の物語、つまりトニー・スタークとスパイダーマン=ピーター・パーカーの物語だ。
ピーター・パーカーというもう一人のテーレマコスにおいては、父探しは決定的な形で失敗し、それによって今回見いだした二つのアメリカの間の亀裂が、もう一度口を開いて私たちを飲みこむだろう。(つづく)
MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。
プロフィール
(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。