被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第3回

被爆二世運動の導火線になった大阪 【前編】

小山 美砂(こやま みさ)

「遺伝の問題は触れるな」 被爆者からの反発

 まずは会員集めに奔走した。これがなかなかに難しい問題だったのだ。原爆投下から30年近くが過ぎ、多くの被爆二世が成人する年齢に達していた。就職や結婚など人生の転機を迎える時期に差し掛かっており、被爆者が受けたものと同じような差別を被爆二世たちも受けるようになっていた。例えば本籍地が広島や長崎だとわかると採用試験で健康状態を聞かれるとか、「被爆二世とは結婚させられん」という露骨な発言に触れることもあった。そんな状況下で、自ら「被爆二世」だと名乗り出る人の方が少ないだろう。

 宮地さんは、大阪に暮らす被爆者が集う団体に助けを求めた。被爆者同士のネットワークがあるので、その子どもたちへアクセスがしやすくなるのではないかと期待したのだ。「被爆二世の組織をつくろうと思っています。これを手伝うとの方針を打ち出してくれませんか」。そう頼んだ宮地さんたちに対して、団体の代表が返した言葉はこうだった。

「遺伝の問題には触れてくれるな。我々被爆者も差別されてきたのに、被爆二世まで差別されるようなことになったらどうしてくれるんだ」

 自分が運動に携わっていて、子どもにも関わらせる被爆者はむしろ珍しかったのではないだろうか。被爆者団体の中には、家族だけではなく近所の人にも知られないように配慮し、名称に「原爆」といった文言は避け、「おりづる」などの表現を使ったところも多い。そういう時代背景の中で、子どもを運動に巻き込みたくない、自分たちと同じ苦しみを味合わせたくないという心情は、一種の「親心」だったのではないかと思われる。宮地さんはこう振り返る。

宮地和夫さん=大阪府豊中市で2024年3月21日、筆者撮影

「一蹴されたけれど、わからんでもないな、と思いましたね。この会をつくったところで何かメリットがあるのか、ということが問われていると思いました。学生だから考えが及んでいないところもあったんです。そんな中で、まず私たちが取り組んだことは被爆二世に対する偏見を取り除くことです」

 1970年代当時、被爆者の子どもに生まれれば必ず病気になるとしたマンガや、被爆二世の女性が結婚を控えるよう諭されるシーンを映したドラマがあった。「短絡的に、悲劇のヒロインのように捉えられてしまうようなニュアンスの作品が結構ありました」と、宮地さんは振り返る。こうした作品に対して出版社や放送局に抗議文を送り、作者と話し合いもした。

「被爆二世に対する正しい見方はこうだ、と提示することはできない。それは今でも難しいと感じます。だけど、イメージを固定化するような表現に抗議をし、『ありのままの被爆二世の姿ではないんじゃないですか』と声を上げるところから始めていきました」

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 第2回
被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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被爆二世運動の導火線になった大阪 【前編】