被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第3回

被爆二世運動の導火線になった大阪 【前編】

小山 美砂(こやま みさ)

独自の健康診断を実施 しかし、運動は立ち行かなくなり……

 当初は会長を置いていなかった組織だが、広島県出身で関西の夜間大学に通っていた大久保定さんが会長に就いた。会の発足を提起した中心メンバーで、宮地さんはそのサポート役として事務局長に。組織としての形は整いつつあったが、運動は手探りだった。なにせ、前例がないのだ。今でこそ、被爆二世が親の体験を伝承する活動は主流だが、「その当時20歳前後だった学生が親の体験を聞いて伝えるというのは、ちょっとリアリティーに欠けますよね」と宮地さんが言うのにもうなずける。

「だから、二世の会が始まってから4、5回目の会合で、自分たちの健康を見つめてみようや、という話になったんですよ」

 遺伝的影響があるかないかは、確信が持てない。しかし、二世の会に集った仲間たちにも、不安があることは確かだった。「遺伝の問題には触れるな」と言われたところで、健康への不安は確かに存在しているのだ。

 被爆者への健康診断や医療費補助が始まったのは1957年。そこから20年足らず、国は被爆二世に対して何の施策も打ち出していなかった。そこで、宮地さんたちはまず自分たちの健康状態を把握することから始めようと思い立つ。原発労働者の被ばく労災訴訟に携わる診療所に頼んで、当時20人ほどいた会員が健康診断を受けられるように整えた。その結果は行政交渉に生かして、被爆二世への援護施策の実現につなげようと考えていた。

「そういう訴えや取り組みが、広島や長崎の被爆二世の皆さんにも響いたんじゃないかと思うんですよね。大阪が被爆二世運動の導火線になったという気がするんです」

宮地和夫さん=大阪府豊中市で2024年3月21日、筆者撮影

 大阪被爆二世の会の準備会が発足したのは、最も古い記録で1974年7月とある。その後、労働組合の中で二世の会をつくる動きが広島と長崎で相次いだ。全国の被爆二世との交流も生まれ、厚生省(現・厚労省)とも交渉するなど活動の幅を広げていく。しかし、次第に運動は立ち行かなくなった。大学を卒業するとそれぞれの仕事に追われるようになり、宮地さん自身も中学校の教員に採用されてからは運動に時間が割けなくなったのだ。

 会長の大久保さんは、1人でも活動を続けていたようだった。学生時代から中学校の事務職員として働き、仕事と運動を両立させていた。

「彼はね、本当にすごい人なんですよ。広島で育って大阪に来ているから、被爆地の実感と大阪の反差別の人権感覚を併せ持っているような人でした。そんな彼に無理をさせてしまったんだと思います。私たちの会は何かバックアップしてくれる組織もあったわけじゃありませんから、基本的には何をするにしても手弁当です。彼自身も立ち行かなくなってしまったんではないでしょうか……」

 そう語る宮地さんの表情は苦々しい。1988年には、現在も「被爆二世訴訟」などの運動を続ける全国被爆二世団体連絡協議会が発足するが、その頃から、会としてはほとんど機能していない状態だったという。

「だけど、大阪の運動は大久保なしにはありえない。彼抜きには語れないんです」

 大久保さんを紹介してもらえませんか、と願い出たところ、宮地さんは少し迷ったようなそぶりを見せた。「実はね、ここ10年ほど連絡が取れていないんですよ。広島に帰ったと聞いているけれど、肝臓壊したからね。今、どうしているかは……」

深刻な面持ちに、それ以上問いかけることははばかられた。消息を広島で調べてみたが、手がかりをつかむこともできなかった。

<後編>につづく

(次回<後編>は7月中旬更新予定です)

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 第2回
被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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被爆二世運動の導火線になった大阪 【前編】