百田尚樹をぜんぶ読む 第4回

ポストモダン保守としての百田尚樹

藤田直哉×杉田俊介

杉田 国家を信じられず、会社を信じられず、家庭を信じられず、学校も地域も歴史の進歩も神の摂理も信じることができない。「大人」とは、生に究極の意味を認めることを断念した存在である、と内田さんは言います。

 しかし「大人」とは同時に、信じるものが何もなくなったときに、その「信じるものがなくなった状況」から何かを「信じる」ためのきっかけを作り出すことができる人間のことであり、「みずからの弱さを熟知した成熟した大人」のことなんだ、と。

 ある段階までは、百田尚樹の中にも、そういう意味での戦後的な「おじさん的思考」があったのではないか。そうした「おじさん」的な生き方が、最終的な理想としては、自己犠牲的な日陰者として、世間からは全く認められないけれど、誰かを支えて生きようとするという「殉愛」として見出されていく。

【IWJ】Image Works Japan / PIXTA(ピクスタ)

 男性問題に葛藤して、弁証法的に試行錯誤しながら、小説家としての彼はそういうところへと行き着いた。少なくとも、ある段階まではそういう葛藤があった、というのが僕の考えです。

 その辺りが彼の小説の侮れないところであり、たんなるポストモダン的な保守主義者とも異なるところではないか。とすれば、その試行錯誤のあり方と、それが辿り着いた場所が本当に真っ当だったのか、そのことが批判的に検討されなきゃいけない。

藤田 そこは、ぼくと杉田さんの意見が分かれるところかもしれません。たしかに「普通のおじさん」が共感しやすい内容を書いているとは思います。ですが、『錨を上げろ』で書かれた自伝的な内容や作家としての振る舞いからして、百田尚樹はかなり例外的で逸脱的な、アウトサイダーな人なのだろうと推測されます。

 大学も辞めているし、当時のテレビやバラエティの世界というのはとても地位が低い扱いでしたよね。そのようなアウトサイダーだからこそ、ネット時代のポピュリズムの波にも対応できて成功しているのだ、という認識です。

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百田尚樹をぜんぶ読む

ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

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ポストモダン保守としての百田尚樹