名もなき女性たちの信念と行動が生んだもの
全米注目のテレビドラマや舞台で活躍中の人気女優ジェニーヴァ・カー(以下、ジェニーヴァ)と出会ったのは2009年夏。当時はまだ小劇場を転々とする中堅女優で、金髪、グリーンの眼とパッと目を引く風貌ながら、一緒に街を歩いても人々が振り返るほど有名ではなかった。カフェで、彼女が受けるオーディションの相手役の台詞を読んで練習を手伝ったりもした。
以来12年間、彼女との付き合いが続いているのは、常に政治や社会に強い問題意識を持ち、発言を恐れない彼女の姿に惹かれたからだ。大統領選挙の年には、自分が支持する候補者に寄付を惜しまず、SNSには政治的な意見も書き込む。自らの行動によって政治・社会との絆を維持するジェニーヴァの姿に、インスパイアされ続けてきた。そして、彼女を知ったことで、名も知れぬ多くの女性らの信念と行動こそが、女性初の副大統領、カマラ・ハリスを生んだと実感している。
今回は、ジェニーヴァ・カーという「もの言う女優」の半生とインタビューを通して、これまでと少し異なった視点から今のアメリカに迫りたい。
彼女は1990年代半ばからずっと、オフあるいはオフオフ・ブロードウェイ(ブロードウェイよりも小規模の劇場)からブロードウェイに這い上がろうともがく、無数の役者の一人だった。「役者を辞めるかもしれない」と言い出したこともある。
流れは2015年4月、突然変わった。2011年からオフ・ブロードウェイで続けていた舞台『ハンド・トゥー・ガッド(Hand to God)』が、突然ブロードウェイの劇場に格上げになったのだ。ブロードウェイの演目に格上げされると、役者は入れ替えになることが多いのだが、その時はジェニーヴァを含めた全員が昇格した。ちょっと変わった10代の息子を持ち、その息子を悪の力で支配しようとする人形(パペット)と戦うシングルマザー、マージュリーを演じたジェニーヴァ。ドタバタの激しいセックスシーンで半裸になったり、人形を殺害しようと格闘するものの逆に刺されてしまったり、暴力的で不気味な場面が続く。楽屋を訪ねると、酸素の吸入缶が転がっていた。ブロードウェイでは、それほど激しい舞台を週に9回こなさなくてはならない。
「週に9回、フルマラソンをしているようなものだった」(ジェニーヴァ、以下同)。
驚きは続く。同作品がブロードウェイに格上げされるやいなや、彼女は演劇界のアカデミー賞とされるトニー賞の「主演女優賞」にノミネートされた。『ハンド・トゥー・ガッド』は作品賞も含めた計5部門でノミネートされ、しかも全員無名の役者や脚本家だったためダーク・ホースとされた。結局、その年の主演女優賞は大女優ヘレン・ミレンがさらったものの、「ノミネート」されることがいかに大切なことか、私たちはすぐに知ることとなった。
直後に、CBS(米最大で視聴率トップのネットワークテレビ局)の新作テレビドラマにジェニーヴァが抜擢されたからだ。スティーヴン・スピルバーグらが製作総指揮を務める法廷ドラマ『BULL』で、主役ブルの右腕マリッサ・モーガン役という主演級である。ブルは、被告の弁護側が勝訴するための戦略を考えるプロの心理学者。マリッサは、陪審員候補者らの人物データを集め、彼らが被告に有利な人物かどうかを分析する役割だ。
2015年秋、『BULL』の撮影現場を見学した。ビル屋上にある駐車場でマリッサが車から降りてきた弁護士らを迎える、という数十秒のシーンだ。エレベータに乗ったジェニーヴァには、ヘアスタイリストとメイク係、ペットボトルの水を持ったアシスタントがついている。エレベータから降りて急に明るい屋上に出ると、そこにはすでに約100人のスタッフがいた。
その1年前まで、彼女が芝居をしていたのは警備員兼切符係が一人しかいない小さな劇場ばかり。舞台が終わったらすぐに着替えなければならず、外に出た途端に残業をしたくない警備員が背後で劇場入口に鍵をかけていた。しかし、今や100人ものスタッフに囲まれて、ジェニーヴァはカメラレンズの中心にいる。私が彼女をどんなに尊敬しているか、言葉では言い尽くせない。
女性として、黒人として、そしてアジア系として、初めての米国副大統領となったカマラ・ハリス。なぜこのことに意味があるのか、アメリカの女性に何が起きているのか――。在米ジャーナリストがリポートする。
プロフィール
ジャーナリスト、元共同通信社記者。米・ニューヨーク在住。2003年、ビジネスニュース特派員としてニューヨーク勤務。 06年、ニューヨークを拠点にフリーランスに転向。米国の経済、政治について「AERA」、「ビジネスインサイダー」などで執筆。近著に『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社)がある。