里の一帯が美術館である
鎌鼬美術館の向かいには、古い茅葺き民家が立っています。そこを使って、阿部さんの息子さん夫婦が、一棟貸しの民宿「かやぶき山荘 格山(かくざん)」を営んでおり、私たちはそこに泊まらせてもらいました。
その晩は、囲炉裏端で、阿部さんの奥さんたちが、採れたての山菜をふんだんに使った料理を振る舞ってくれました。中でもコシアブラという山菜を混ぜて炊いたご飯がおいしくて、忘れられない味でした。
田代には「格山」一軒だけでなく、茅葺き民家が、まだしっかりと残っています。住民の方がまとめた「茅葺きマップ」には、立派な曲り家二〇棟の写真が掲載されています。調査によると、現在も八六棟の茅葺き屋根の民家が確認されているとのことです。
田代では、一軒の屋根を丸々葺き替えるのではなく、状態の悪い箇所を部分的に直していく方法を採るため、同時に複数軒の葺き替えを進めることができます。二〇一三年には一一棟、一四年から一七年までは毎年七棟の葺き替えを行ってきました。さらに一〇年から一三年までの三年間、羽後町は後進の茅葺き職人育成のための予算を組み、二人の若い職人を育成しました。これは日本の田舎では画期的な取り組みです。
茅葺き職人の育成や、鎌鼬美術館のオープンなど、羽後町ではすでにいくつかの試みが実を結んでいます。「格山」での夕食時には、Iターンで田代にやって来て、地域おこし協力隊として活動している若者たちとも、時間を共にすることができました。
しかし現在、田代の集落は、ほとんど忘れ去られた存在です。町の財政にも限りがあり、田んぼや稲架は次第に荒廃し、茅葺きの民家も壊されて、貴重な田舎の風景が消えていくことが懸念されます。
東南アジアのコンテンポラリーダンスに携わる人にとってButohは主流といえるジャンルであり、世界の振付師も大なり小なり舞踏を意識しています。日本国内にも舞踏は残っていますが、以前ほどの知名度はありません。その代わりに、マイケル・サカモトと同じように、外国人が聖地の田代に絶えず足を運んでいます。
今日、Butohに興味がある外国人旅行者にとって、鎌鼬美術館や稲架を見て歩くことは、巡礼のようなものです。慶應義塾大学アート・センターで「土方巽アーカイヴ」を管理している森下隆先生は、「展示館としての蔵にとどまらず、広々とした田んぼをはじめ、里の一帯が美術館である。土方巽が疾駆跳躍した田んぼも忍び入った茅葺き民家もまた展示場である。それが鎌鼬ミュージアムとなる」(『細江英公 鎌鼬 田代の土方巽』)と書いています。
田代は舞踏と写真の世界的な聖地で、この先も残って欲しい日本のかくれ里です。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。