ニッポン巡礼 kotoba連載版①

日吉大社、慈眼堂、石山寺(滋賀県)

アレックス・カー

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

 

白洲正子に導かれて

 

 日本人の考え方には、「表と奥」「顕と密」のように、常に二つの要素が備わっているように思います。そして、「表」より「奥」が、「顕」より「密」が、神秘的で深いとされています。つまり、簡単に見ることができず、人目を少々忍ぶくらいのものが、すばらしいとされているのです。

 一九七一年に白洲正子さんが『かくれ里』(新潮社)という本を著しました。当時は高度成長期の只中で、観光ブーム幕開けの時でしたが、彼女は金閣、銀閣などを避けて、主に山奥を巡り、あまり知られていない寺や神社を訪ねて、そこから日本美の神髄について思考をめぐらせました。私は九〇年代に「本物とは何か」というテーマの対談で白洲さんと知り合って以来、彼女のものを見る厳しい目から、たくさんのことを教わりました。

 私は古民家再生の仕事で全国を走り回っています。それは、ほぼ僻地巡りの日々です。加えて、この数年は白洲さんの跡をたどるように、神の力、仏の力とは何か、ということを考えながら、かくれ里を巡ってきました。日本にはお遍路巡りのように、何世紀も昔から「巡礼」の習慣があります。私にとっては、古民家再生も、かくれ里巡りも、どちらも一種の「巡礼」であり、そのなかで数々の発見がありました。

 今回の連載は、今、あらためて日本を巡礼することで、隠された本物の場所を紹介したいという思いから始まっています。しかし、私の「紹介」には、旅慣れた人への、いささか意地悪な気持ちも働いています。

 今日では、「表」となる社寺や町並みには大勢の観光客が押し寄せて、特別感が薄れてしまっています。誰もが行けるところより、知る人ぞ知る、ちょっと隠れた場所は魅力的で、それを見つけたときに、心は大きく癒やされます。しかし同時に、はしたないこととわかりながら、知らない人たちに対して優越感のようなものも生まれます。

 私の父は辛辣(しんらつ)なジョークを好んだ人で、たとえば友人がイタリアに旅行したことを知ったときには、次のようなやり取りを必ずしていました。

「チンクエテッレには行った?」「ええ」「では、マナローラには行った?」「ええ」……以下、海岸伝いの小さな町の名を次々と挙げていき、ついに「いいえ」という返事が出たら、「You missed everything!(だったら、君は何も見ていない!)」と、うれしそうに叫ぶのです。小さな漁村を見逃したことで、旅の最高の楽しみを得られなかったんだね、と相手を悔しがらせるのです。

 一方、白洲さんは「人が知らないところは、人に知らせたいし、知らせると、たちまち汚されてしまうのは、ままならぬ世の中だと思う」と、書き残しています。父ほどに意地悪ではありませんが、私もまさに同じ気持ちを抱きます。

 これから読者のみなさんと一緒に、巡礼に旅立ちたいと思います。しかし、ままならぬ世の中ゆえ、ここで紹介された場所にはぜひとも行かぬよう、最初に心からのお願いを申し上げておきます。

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kotoba連載版②  
ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

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ニッポン景観論

プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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日吉大社、慈眼堂、石山寺(滋賀県)