ニッポン巡礼 kotoba連載版②

羽後町田代、阿仁根子(秋田県)

アレックス・カー

トンネルを出たらシャングリラ

 

 二年前に秋田の大館(おおだて)市で講演を行う機会があり、主催の一般社団法人「秋田犬ツーリズム」で働くアメリカ人のコリン・フリンさんが、大館市の南にある阿仁根子(あにねっこ)という場所を案内してくれました。

 「阿仁」は、鉄道ファンに根強い人気があるローカル線、「秋田内陸縦貫鉄道」の沿線にあります。“マタギの里”として知られる阿仁根子は、そこからさらに奥に行った場所にあります。

 雪の中、車で山道を上っていくと、小さなトンネルの入口があり、一車線だけの暗いトンネルに入ると、異次元に紛れ込んだ気持ちになります。そして、車がトンネルを出た瞬間、雪に覆われた集落の眺めが、目の前にばっと開けました。その光景はシャングリラそのものでした。

阿仁根子へ続くトンネル

 せっかく秋田まで来たのだから、阿仁根子も再訪してみようと思い、羽後町から北に向かいました。

 ところが、同じ秋田県内ということで楽観していたところ、羽後町から阿仁までは車で三時間もかかったのです。とにかく東北は広い。調べてみると、秋田県の面積は京都府の約二・五倍で、関西を移動する距離感覚で行くと大変な目に遭います。

 ただし、そのおかげで道中、また新しい発見をすることができました。東北には立派な茅葺き文化が残っている、ということです。

 古い家の屋根はトタン葺きが多く、一見、ノスタルジックな茅葺き古民家はほとんどなくなってしまったように見えます。しかし、よく見ると、それらの屋根は、傾斜が大きく軒の膨らんだ独特な形をしています。トタンの内側は茅葺き屋根のつくりに違いありません。事実、古い茅葺き屋根の上にトタンを被せただけで、その下にしっかりと茅葺きと小屋組みが残っている家もたくさんあります。

 東北の家は関西よりも大きく、雪が積もるために、柱や梁にはより太く丈夫な部材が使われ、かつ、多くが二階建てになっています。家畜の飼育スペースを含む伝統的な様式は、「曲り家」として知られています。

 前回訪れた阿仁根子は吹雪で視界が遮られ、眼下の集落もかすかに見える程度でしたが、今回は明るい日差しに照らされた、新緑の田園風景を望むことができました。京都の桜が散ってから一か月近くたっていましたが、この辺りは五月の上旬過ぎに見頃を迎えます。

阿仁根子の眺め

 私たちはまず、自治会長の佐藤哲也さんの家に案内され、落人(おちうど)伝説や神社など、この地の歴史を教えてもらいました。

 普通「落人」と聞くと、平家を思い浮かべますが、根子に来たのは源氏の一族だったと考えられているようです。あるいは、源氏と平氏、それぞれの落人の歴史があるのかも知れません。徳島の秘境、祖谷(いや)にも平家の落人伝説があります。桃源郷と呼ばれる場所には、いつの時代も落ち武者が迷い込んで来るものなのでしょう。

 俗世間から隔絶されていたからか、阿仁根子には、ほかの地域でなくなってしまった、さまざまなものが残っています。その一つが、「根子番楽(ねっこばんがく)」という民俗芸能です。修験道に由来する「番楽」は、秋田県と山形県に伝わる神楽の一種で、能の古態ともいわれています。阿仁根子のものは、特に歌詞の文学性が高いと評価されています。武士を主人公に、太鼓、笛やほら貝の伴奏で勇壮な舞を見せるといいますが、今回は番楽を見る機会には恵まれませんでした。しかし集落を案内してくれた村の若者は、番楽の太鼓の稽古に通っていると話していて、日常の中でしっかりと受け継がれていることがうかがえました。

 佐藤さんの家から少し歩いた先に小さな里山があり、その麓に「根子神社」が(まつ)られていました。あぜ道を進み、社を拝見すると、頭上に「観世音」と書かれた額が掛けられており、祭壇には金色の観音像が安置されています。

 祀られている神様の名前は「少彦名神(すくなひこなのかみ)」となっています。それでも、この社では仏教の観音信仰がずっと続いており、旧暦の正月には観音様に五穀豊穣、無病息災を祈念する式典が行われるとのこと。前回、神仏習合の象徴である滋賀県の日吉大社を訪ねましたが、阿仁根子のような人里離れた集落にも、明治時代の廃仏毀釈を経た後に、神仏融合の精神がなお深く根付いているのでした。

 日没前の阿仁根子を後にして、再びトンネルから元の世界へ……。考えてみると、コリンがここを好きになったのはトンネルがあったからですし、私の中で強く印象に残っているのも、やはりトンネルを抜けた先の劇的な眺望です。

 今の時代、一車線の狭いトンネルは「不便」なものとされ、今後、拡幅されることも十分に考えられます。しかし過疎の進むこの村で、これ以上利便性を追求する必要はありません。それよりも、古民家や畑を生かして若者を呼べば、この風景を未来へと残すことができます。番楽と神仏融合の信仰が残る幻の里、阿仁根子には、落人の時代以降、強い生命力が宿っています。これから阿仁根子を訪れる旅人も、コリンや私と同じように、あのトンネルを抜けた先に、驚きとうれしさを覚えることでしょう。

 

構成・清野由美 撮影・大島敦之

*季刊誌「kotoba」33号(2018年秋号)より転載

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ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

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プロフィール

アレックス・カー

東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『ニッポン景観論』(集英社新書)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。

 
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