今回の巡礼地は東北・秋田。人里離れた内陸には、「舞踏と写真の世界的な聖地」があった。
土方巽と細江英公
私はフランスの小説家、プルーストが大好きで、数十年前にはじめて『失われた時を求めて』を読んで以来、幾度も読み返しています。この作品は人間の「記憶」をテーマにしたもので、人生の本質をそこから垣間見ることができるからです。
実は、この作品は二〇世紀後半の日本文化にも大きな影響を与えています。東京に長く在住し、私が書き物の師として慕っていたアメリカ人文学者ドナルド・リチーや三島由紀夫ら、多くの文化人が、この作品に感化されています。
文化人の間で流行(はや)っていたフランス文学が取り上げたのは、社会の美しい部分ではなく、文化・文明・開発などから疎外された人たち、つまり、それまで題材になることのなかった犯罪者、売春婦、詐欺師、ホモセクシャル、トランスセクシャルらでした。三島由紀夫がフランス文学から影響を受けて、同性愛をテーマにした『禁色(きんじき)』を書いたことは、有名なエピソードです。大阪では、芸術家グループ「具体美術協会(具体)」が、芸術を評論や売買と切り離し、個人的な表現として抽象画を描いたり、パフォーマンスを行ったりしていました。彼らは、それらの作品を作ってはまたすぐに壊す、というように、挑発的で斬新な活動を盛んに行いました。
前衛芸術である「舞踏(Butoh)」の創始者・土方巽(ひじかたたつみ)と、写真家の細江(ほそえ)英公(えいこう)の二人も、戦後の日本で、プルーストに連なるフランス文学にインスピレーションを受けた人たちです。
一九六五年、彼らは東北の小さな集落、秋田県羽後町田代(うごまちたしろ)に「日本の記憶」を求め、現代美術史に残る「ハプニング」を仕掛けました。その足跡が、六九年刊行の写真集『鎌鼬(かまいたち)』に記録されています。
今回、私は土方と細江の足跡を辿り、田代まで出かけてみたいと考えました。京都駅から新幹線に乗って東京経由で岩手県の北上へ。そこからレンタカーで西に二時間近く走ったところに、田代の集落はありました。移動だけでも九時間近くを要する道のりでした。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。