「無い」光景が最高の贅沢
二日目は「さか本」を惜しみながら、西へ向かいました。何年か前に輪島市の白米(しろよね)千枚田の写真を見て以来、そこはずっと憧れのスポットでした。棚田が好きなこともあり、今回見に行けることを楽しみにしていましたが、うれしいことに、白米にいたる道中にも発見がありました。
「にほんの里百選」に指定されている町野町(まちのまち)金蔵(かなくら)の集落です。「○○百選」などというものは、大抵は文化的なことを装いながら、半ば政治的な理由から決められたものが多く、特に面白いものではありません。しかし、金蔵には実際に十分な魅力があります。
海へと向かう斜面に位置している白米千枚田と違って、金蔵の田んぼは内陸の穏やかな谷間にあります。耕地整理の結果だと思いますが、小さな田んぼはより大きなものに統合され、一つひとつの田んぼの面積が大きいことが特徴です。白米千枚田をはじめ、棚田の名所と呼ばれるようなところは、狭い田んぼが所狭しと集まっていることが多いのですが、金蔵には比較的ゆったりとした雰囲気があります。取材で訪れたのは、夏只中の七月でした。稲の強烈なグリーンカラーが染めあげた一帯は、まるで緑の絨毯(じゅうたん)が大地に敷かれたようでした。

金蔵の棚田
金蔵の建物はどれも古民家でしたが、なかなか綺麗な状態で維持されているようでした。トタンでできた小屋やビニールハウス、派手な新築住宅はありません。田んぼの中の看板やブルーシート、あぜ道のガードレールなどもありませんでした。この「無い」という光景が、最近の日本ではきわめて稀なものになってしまうことを考えると、これは最高の贅沢といえるかもしれません。この集落がこの姿のまま残ってほしいと願いながら、金蔵を後にしました。
プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。