三宅一生を彷彿させる棚田
ようやく憧れの白米に到着しました。〝区画整理〟された金蔵の田園風景もすばらしいものですが、田んぼの究極は、やはり地形を基準につくられた、昔ながらのイレギュラーな姿だと思います。個々の大きさがまちまちで、それぞれが気ままに曲線を描いている田んぼの形は、山の斜面に嵌(は)め込まれたパズルのピースのようです。
白米の田んぼは鰻の寝床のように細長く、それが無数に並ぶ風景は、たくさんのヒダを持つ「プリーツプリーズ」を彷彿させます。ヒダの折り目を強調した三宅一生の服は、身に纏(まと)った時に身体のラインを柔らかく包み込むため、女性に人気があります。白米千枚田も、それに似た感覚で、田んぼの境界やあぜ道がゆるやかな輪郭を描きながら、山から海岸へと下りていく地形の傾斜も感じ取ることができます。海に面しているので、本当に絵になる風景です。
すぐ隣には、道の駅の建物と大型駐車場が立地しています。その展望台や棚田の方へとつながる階段から、たくさん写真を撮りました。道の駅の建物は、普通の商業施設の形です。観光客は、ここからコンクリートの歩道を歩くようになっています。正直な気持ちをいうと、どんなに田んぼが立派でも、隣接する施設のせいで、白米千枚田はいささか「作り物」の観光地のように見えてしまいました。せっかく見事な景色なのに、ロマンに欠けます。金蔵には劇的な海岸の眺めはありませんでしたが、静かな田舎の風景は、心に訴えるものがありました。
私は先年、イギリスのストーンヘンジ遺跡を見に行きました。日本では「便利さ」が優先され、観光名所には駐車場、展望台、土産物店、レストランなどが直結していないといけないようです。一方、ストーンヘンジは駐車場をはじめとする観光施設を、かなり離れたところにつくりました。観光客は車をそこに停めて入場チケットを購入し、整理券の番号順に並ばされます。そこからゴルフカートのような乗り物に乗って、ストーンヘンジへと移動します。
遺跡に到着して周りを見渡すと、視界に入ってくるのは、羊が放牧されている草原で、ほかに何もありません。「ああ、数万年前の神秘がここに宿っている」と溜め息がもれます。見終わった後は、再びカートで観光施設に戻って、お土産を買ったり、レストランで食事を楽しんだり。巧みに動線が引かれていたことで、夢を破られることなく、石器時代の人たちがどんな思いで巨大な石のサークルを立てたのか、想像力を働かせながら余韻に浸ることができました。
そう思うと、日本の棚田の中でも特段に美しい白米千枚田の扱われ方は、少し可哀相な気がします。しかし、ひょっとしたら今の観光客には、便利な場所にバスが停まり、決められた展望ポイントから楽に写真が撮れて、時間をあまりかけずに見て回れるコースの方が、ありがたいのかもしれません。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。