人工物がない絶景海岸
漆器の産地は全国にありますが、輪島はずば抜けて知名度が高い土地です。私は古美術や工芸品をコレクションしており、その中に、いつの間にか集まった古い輪島塗の膳や椀もあります。大事なお客さんがうちに来る時は、それらを棚から取り出して使っているのですが、洗練された色彩感覚とデリケートな線にはいつも興味がひきつけられます。そのこともあり、輪島はずっと前から行きたい町の一つでした。
案内役の高木さんが、まず連れて行ってくれたのは、港近くのエリアに位置する「塗師(ぬし)の家」でした。この家は明治末の大火の後に、いち早く建てられた漆器製造作業場併用住宅で、その後の輪島の塗師屋建築のモデルとなったそうです。一九八七年に漆器メーカーの「輪島屋善仁(ぜんに)」が、空き家になっていたこの家を購入し、九〇年に大改修を行いました。高木さんもその時の改修に携わった一人で、貴重なお話を聞くことができました。
小さな路地先のかどぐち(ポーチ)を潜って家に入ると、玄関から裏口まで長い土間が続いています。その横、一段上がったところに廊下が通り、さらに一段上に部屋があります。典型的な町家のつくりといえますが、インテリアは大きく異なります。
ここでは、柱、梁、桁、床から、窓の縁、障子の桟や、井戸の蓋まで、ありとあらゆる部材が拭き漆や輪島塗で仕上げられているのです。色は朱や黒色ではなく、「溜塗(ためぬり)」を思わせる茶色と、くすんだ紫の混ざったようなもので、薄暗い土間から見ると、外から差し込む光に反射して、ツヤっとした表面が幻想的な褐色を発します。
次に、高木さんの設計したギャラリー「QUAI(クヮイ)」に案内されました。一階が打ちっ放しコンクリートという現代的な外観を持った建物には、漆器作家の瀬戸國勝(くにかつ)さんによる作品が展示されています。瀬戸さんの作品は簡素な形をしていますが、現代的でシックな雰囲気があり、スプーンやそば猪口(ちょこ)など、見ているとどれも欲しくなってきます。少し沈んだマットな仕上がりと、彫刻的な造形は、古い空間だけでなく、現代的な環境にも合うと思います。
その後、能登半島を反時計回りに回っていきました。輪島を「一二時」の方向と仮定すると、「一一時から六時」へと向かうように、海沿いの道をドライブしていきます。そこでのうれしい発見が「西保(にしほ)海岸」でした。
漁村から海沿いの山へと道を上がり続けると、あるカーブを越えた時点で、見事な海の眺めが開けてきます。道路は高く険しい崖の上にありますが、そこから崖を見下ろすと、岩場に押し寄せる波が夕刻前の日射しを受けて、きらめいています。道を進むにつれて、眺めも次々に変化していくので、何度も車から降りてシャッターを切りました。
残念ながら今の日本では、大規模な工事をほどこされた護岸があるのが海岸の景色の常ですので、このような自然の海岸線は、なかなかの贅沢といえます。海岸に限らず、情緒的、幻想的な山城跡でさえ、最近では真っ白なコンクリートで固められていきます。「城」は残っても、「情緒」は今の時代に取り沙汰されないようです。
社会全体がそうした風潮に傾く中、人工物が目に入らない海や川の風景を見かけると、本当にうれしくなります。白米の棚田もいい眺めでしたが、西保海岸はそれに勝るとも劣らない希少価値を持っています。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。