石谷家は「住居版の東大寺」
八頭町から南下した位置に、智頭町があります。ここは江戸時代に鳥取藩最大の宿場町として栄えた土地で、町の中心にある智頭宿には、国の重要文化財に指定されている「石谷家(いしたにけ)住宅」があります。
日本ではどの地方にも、立派なお屋敷が残っており、そこに使われている木材や家具、部材に施された細工などが、日本の木造建築を学ぶためのよい教材になります。私は日本全国で、そのようなお屋敷を一〇〇軒以上見てきましたが、その中でも「石谷家」は別格で、唯一無二といってよいものでした。家の太い梁や桁が実に見事で、主屋の巨大な土間空間に足を踏み入れた時は、思わず息をのみました。
以前、飛驒高山の「日下部家(日下部民藝館)」を見た時も感動しましたが、石谷家はそれ以上の大きさで、「住居版の東大寺」といいたくなります。お寺や神社など、大規模な木造建築は他にもありますが、住居としてここまで大きなものを、私は知りません。
石谷家は元禄時代に鳥取城下から智頭に移り住み、地主経営や宿場問屋などを営んで、江戸後期には「大庄屋」を任じられていたそうです。明治以降は材木王として莫大な富を築き、それゆえ、この家には立派な部材の他にも、欅(けやき)の一枚板の襖など、各所に贅を凝らした造作が施されています。
たとえば、廊下に置かれた市河米庵(いちかわべいあん)の屛風など、邸内に飾られている美術品も質の高いものが揃っています。ちなみに米庵は、私が好きな江戸時代の書家の一人です。この家の土間を見るためだけでも、智頭町に行く価値がありますが、さらに石谷家の邸内を進めば、欄間の細工や春慶塗の違い棚、火灯窓など、どこを見てもすぐれた職人技があり、関心は尽きません。
大正時代に作られた階段は西洋風の洒落たもので、そこから二階へ行くと、吹き抜け部分に架けられた小さな橋が、廊下と座敷をつなぐ趣向になっています。また、通常の日本家屋では天井近くに神棚のスペースが設けられていますが、この家では一室丸々を神殿に当てていて、神社のような威厳を放っています。
立派な家の多くは途中で廃(すた)れてしまうか、文化財に指定された後に、大々的に修復をされて、そこでの暮らしの息吹が伝わらなくなってしまうことがあります。しかし幸いなことに、石谷家は町にこの屋敷を寄贈するまでは、ここでご家族が暮らしていたそうです。そのせいか、家は非常に美しい状態で残っています。石谷家の当主は代々この家に住み続けることで、家を今に伝えてくれたのです。全体の雰囲気から、一族の高い教養が伝わってきました。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。