廃(すた)れた集落にこそ可能性がある
さて、食から再び私の得意とする古民家の話題に戻ります。JR因美(いんび)線の智頭駅から車で十数分ほど走った山の奥地に「板井原(いたいばら)」という集落があります。実はここが、今回の第一の目的地でした。
板井原は、周りを山に囲まれたシャングリラのような雰囲気の集落です。連載の第二回で紹介した秋田県の阿仁根子(あにねっこ)のように、トンネルを抜けた先にある隠れ里ですが、阿仁根子とはくらべものにならないほど、ひっそりとしています。
集落にある約一〇〇軒の家屋のうち、二〇軒ほどは江戸・明治期の建物で、県選定の伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、ほとんど人は住んでいません。集落内は車も入れないような狭い路地ばかり、耕作地もほとんど見当たりません。世間とかけ離れたこの集落は、林業と養蚕業で成り立っていたそうです。
空き家という言葉には、人の住んでいない朽ちたイメージがありますが、実はその過程には「半空き家」という状態があります。この集落にも、普段は別の場所に住んでいる持ち主が、ひと月に一度、あるいはお正月やお盆だけ帰ってきて、ちょっと手を入れている「半空き家」があるそうです。
集落は、板井原川に沿って形成されており、対岸に町とつながる道路が走っています。川に面した場所には、町の文化財に指定された茅葺の「藤原家住宅」が、侘びた佇まいで建っています。その隣にある古民家では、若い女性が「歩(ほ)とり」というカフェを一人で切り盛りしています。彼女は町が企画した移住プランに応募して、期間を決めてここの運営にあたっているそうです。カフェの向かいの家では、やはりよそから移住した織物作家の女性がご夫妻で、住居兼アトリエとして暮らしているそうです。
智頭町にとって、この集落は誇るべき場所であると同時に、激しい過疎化で悩みの種にもなっている場所です。若い世代の移住者がいるとはいえ、まだお店は少なく、宿泊施設もありません。他の家の手入れも十分に行き届いておらず、廃れた雰囲気を感じさせます。
確かに悩ましい状況ですが、私は逆に、このような集落に可能性を感じます。なぜなら美しい景観が残され、俗世間からかけ離れた集落は、「観光立国」が叫ばれる今の時代に適しているからです。
以前は、車が入れないことは完全なデメリットでしたが、今後の観光を考えると、それこそが板井原の情緒を守り、新たな魅力を生み出していくものになります。集落の建物は、住居の他に、養蚕用の小屋と立派な蔵で構成されています。住居部分は宿泊施設、小屋は画廊などに使うことができますし、蔵も少し手を加えれば、村の景色を作る貴重な資源となります。集落全体を少し整備し、空き家と半空き家をある程度修復するだけで、貴重な観光地としてよみがえらせることができるのです。
たとえばイタリアの田舎では「アルベルゴ・ディフーゾ(分散型ホテル)」というシステムが普及しています。ここでは宿泊者を迎える「受付」の家があり、そこでお客は宿泊先の家を案内してもらいます。朝食や夕食、バーなどは、村に点在する別の家。つまり村全体でホテルの機能を果たしているのです。
私は祖谷のような奥地で似た試みを行い、ある程度の実績を出しています。ですから、このような「隠れた場所」への需要は間違いなくあるということができます。
智頭町には三つの宝物がありました。一つ目は「食」です。タルマーリーや、みたき園などでは、自然を敬いながら理想的な形で田舎を活かしています。
二つ目は「石谷家住宅」です。まだ広く知られていない場所ですが、文化的な見地から見て、世界各地から観光客が来てもおかしくない、パワフルな文化財です。
そして最後に、車も入れないひっそりとしたシャングリラの「板井原集落」。
これらを活かしていくことで、智頭町は住民の暮らしを保ちながら、美しく生まれ変わっていくのではないでしょうか。
構成・清野由美 撮影・大島淳之
*季刊誌「kotoba」35号(2019年春号)より転載
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。