堂々たる曲家様式の農家
南泉寺より西南方向に進むと、もう一つの茅葺きの里「前沢集落」があります。ここは大内宿と同じく、重伝建の指定を受けている茅葺きの集落で、そのおかげか、かなりよい状態で保存されています。ただ、大内宿に比べると知名度は低いので、ここもまだ観光地化されていません。
ここを私に教えてくれたのは、会津若松で編集工房を主宰している鈴木里美さんです。最初に案内された時、鈴木さんは私を集落の中ではなく、その向かいにある山に導きました。細く急な山道を登っていくと、木々の合間から前沢集落を一望できる展望スポットがありました。そこから眺めた集落は、まるで絵に描いたような「かくれ里」でした。
前沢集落は宿場町ではなく、元からの農村で、堂々たる曲家様式の農家が里山の麓に小さな集落を形成しています。その様子は、狭く長いトンネルを抜けた先に、夢のように現れる究極のかくれ里、秋田県の阿仁根子(あにねっこ)(kotoba連載版第二回)に重なります。
前沢集落の一番の特徴は、何といっても曲家の造りで、ここでは十数軒の茅葺きの曲家が独特の統一感を構成しています。一九〇七年に大火があり、集落のほとんどが焼失されるという不幸に見舞われましたが、その後、土地の大工さんたちが集まって、昔の家並みを再現して復旧を果たしました。
前沢集落では、今も住民たちが日常の暮らしを営んでいます。その中で一軒だけが「前沢曲家資料館」として、一般に公開されています。これまでの経験から、私は「資料館」という言葉を耳にすると、お役所的、あるいは博物館的な運営ではあるまいか、と身構えてしまうところがあります。日本各地にある「〇〇資料館」は、ぴかぴかに復元すべし、あるいは学術的研究に忠実であるべし、といった固いルールに縛られていて、人の暮らしの息吹が消されてしまうことが多く、だからこそ敬遠してしまうのです。
ところが前沢集落の資料館は、それらの類型とは違っていました。まだ周りに雪が残る三月でしたが、資料館は雨戸や襖を取り外して、開放的な空間になっていました。中に入ると、囲炉裏で薪が燃えています。それは、祖谷(いや)の我が家、「篪(ち)庵(いおり)」を思い出させるもので、「ああ、あの匂いだ!」と、胸がいっぱいになりました。
囲炉裏の傍らで私を迎えてくれたのは、「前沢景観保存会」の小勝周一さんでした。建物に足を踏み入れた瞬間から、私はここが「資料館」であることを忘れていたので、囲炉裏端で聞く小勝さんの話にも、気持ちよく耳を傾けることができました。
小勝さんは、この集落が重伝建の指定を受けたことで、それなりの修復ができたことについて語る一方で、高齢化が進み、空き家が増えていくだろう集落の今後を憂えていました。
山に囲まれた前沢集落は「理想郷」の雰囲気をたたえています。五月に訪れた時には、畑一面に菜の花が咲いていました。東北に家を持てるのであれば、私は前沢集落に住みたいです。篪庵には浮気をするようで申し訳ないけれど、それほどチャーミングな村です。
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