「それから」の大阪 第16回

エメラルドグリーンの車で麺を届ける「太陽製麺所」

スズキナオ

生命科学の研究からIT企業を経て製麺業へ

大阪市浪速区戎本町。JR大阪環状線の新今宮駅からもほど近い営業所でインタビューを受けてくれたのは太陽製麺所の代表取締役を務める王志文(おうもとふみ)さんだ。創業73年を迎えた企業の三代目社長で、現在35歳という若さである。

太陽製麺所の代表取締役・王志文さん(2021年11月撮影)

 

 

――太陽製麺所は1948年創業とのことですが、創業当時からこの場所に工場があったんでしょうか。

「いえ、創業者は私の祖父なのですが、祖父がミナミの方で製麺を始めて、生産のキャパシティーが足りなくなって40年ほど前にこっちに移ってきたんです。ここはもともとタクシー会社だった建物なんですが、上は社員寮になっていて、これはいいというので移転したようです」

――タクシー会社の建物だったんですね。

「そうなんです。すごく頑丈な造りになっているので、簡単に改修するというのが難しくて、それぞれの部屋に機械を入れて『ここはこういうラインが作れる』とか『ここには冷蔵庫を置こう』とか、かなり工夫して始めたようです。迷路みたいにラインが組まれている部分もあるので、きっとその時その時で、なんとかキャパを増やそうと無理矢理詰め込んでいったんだろうと思います」

かつてはタクシー会社だったという太陽製麺所の営業所(2021年11月撮影)

――ご祖父が創業されて、二代目の社長はお父様ですか?

「そうです。祖父、父とやってきた会社を私が継いだということです」

――志文さんはいつから会社に入られたんでしょうか。

「僕は大学で理工学部に通っていまして、生命科学科という、発生学とかiPS細胞とか、そういった分野の研究室にいたんです。そのまま研究を進めたくて大学院へ行ったんですが、入ってみると研究よりも就職活動に熱心な人が多くて、このままだと中途半端になってしまうなと思ったんです。そこで大学院をやめて一度この会社に入りまして、それが2009年ですね。それから5年弱ほどいました」

――その後、別の会社へ入られたんですか?

「この会社で働くことはずっと前から決めていたことだったんですが、もっと社会人経験を積んで、ビジネス的な視野を持てたらと思っていました。そこで修行がてら一度外に出ようと、縁があってビズリーチという人材サービスの会社に入社したんです。当時はまだ小さな会社だったんですが、2014年から4年半ほど働いて、すごく色々勉強させてもらいました。2018年の3月頃に父親が癌になってしまったので、それを機に会社へ戻ることにして、2019年の7月に僕が跡を継ぐという形で会社の代表になって今に至ります」

――理工学部で研究して、後には人材サービス系のIT企業に勤めてと、すごく経歴が多彩ですね。

「学生時代、理系の科目が得意だったんですね。社会とか国語より物理とか科学が得意だったし、自分としても好きだったので面白そうだなと思って入っただけといえばそれまでなんですけど、でもそこで研究したことは今も無駄ではなく、食品に関する仕事をしていく上で科学的な知見を持っているというのはひとつ武器になるのかなと思っています。イメージだけで判断せず、科学的な視点も含めて物事を判断することは重要だと思います。ビズリーチの方も、僕がゆくゆく太陽製麺所へ戻ることは事前にお話ししてあったのですが、その点についてもすごく寛容な会社でしたし、貴重な経験をさせてもらいました。社会人としての基礎を叩き込まれた場だと思っています」

――2019年に太陽製麺所の代表取締役になられてからはいかがでしたか?

「22歳の時に一度会社に入って、工場のラインのことですとか、配送の流れですとか、そういうことは一通り経験してはいたのですが、やはり代表となると大きな責任が伴います。うちには工場で麺を作る製造部と、配送も担当する営業部の大きく分けて二つのグループがありますので、それぞれの現場間での問題をどううまく調整していくかだったり、もっとコミュニケーションが活発になるようにというところに目を向けてやっていく必要があったりします」

創業者である祖父、先代である父の写った写真を指差す志文さん(2021年11月撮影)

――それぞれの現場の折り合いをうまくつけていく必要があると。すごく神経を使う部分でしょうね。

「そこにまたコロナが来ましたから。就任した年は大丈夫でしたけど、翌年の2020年の2月にはもうコロナの話が出て、じわじわと状況が変わっていきました。とはいえ、2月の段階ではまだほとんど影響はなくて、3月もまだ平常時の1割程度売り上げが下がったというぐらいだったんです。それが4月になると緊急事態宣言も出て、その間は例年の5割、6割までに下がった状態になりましたので、影響はかなり大きかったなという感じでしたね」

――飲食店が営業できなくなるとその影響がダイレクトに来るわけですね。

「うちは飲食店さん向けの麺しか作ってなくて、一部の例外を除いてはスーパーに卸したりしてないんですよ。なので飲食店さんがダメになればうちもそのままダメになるっていう状態なので。お店を畳まれるところも多かったですし……。まあ、売り上げのことももちろん重要なんですけど、何より、『どうしたらいいんだ』っていう。緊急事態宣言で店を閉めるしかない間はそうするしかなかったからまだ分かりやすかったんですけど、緊急事態宣言が解除された時に『どういう形で営業をしたらいいんだろう』っていうのは多くの飲食店様が悩まれているっていう印象でしたね」

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 第15回
「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

 
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