レトロ車両と浜寺公園
再び阪堺電車に乗り直そうとして歩いていると、道行く人に声をかけられた。お歳を召されたご婦人で、「チン電の駅はどっちでしょうか」と聞かれた。まさに先ほどまでそれに乗っていたのだから、今の私ほど道案内に最適な人間はいないだろう。
その人は、大阪市西淀川区の方から用があってこちらにやってきたのだという。停留場まで送っていく道すがら、話をした。堺市の印象について「昔はガラ悪いと聞いたけどそんなことないな。住みやすそうやわ」と言い、私がこれから浜寺公園まで行くつもりだと告げると「ええなぁ!浜寺公園ゆうたら、私も昔よう行ったで。海水浴にな」とのこと。
浜寺公園は大阪湾岸に広がる公園で、かつて海水浴場があったのだという。ご婦人は「案内してくれてありがとう。これ、浜寺公園のベンチで食べや!いい天気でよかったなぁ」と、おにぎりとファミチキと牛乳を下さった。さっきコンビニでトイレを借りたお礼に買ったものだとか。
大阪市方面へと帰るというご婦人を停留場へ送り、私は反対側の方面へ行く乗り場に立った。周囲の様子を写真に撮っていると、今度は50代ぐらいかと思われる男性に「チン電が好きで撮ってんの?今あっちからすごいの来るで」と言われた。向こうを見ると、ずいぶんクラシカルな車両が近づいてくるではないか。
「これ161形ゆうてな、めっちゃ古いのを直して走らせてるやつや。兄ちゃん、ラッキーやな。あちこち撮っとき!」と男性が教えてくれる。「ほら、木の板やろ全部」と、乗った車内はなるほど床も天井も板張りで、時間を一気に遡ったかのような感覚を味わう。
1928(昭和3)年に運行を開始した車輌で、現役で走っているものでは国内最古なんだとか。大規模な修繕を行い、2021年末から2022年の2月末まで期間限定で走らせているそうで、何の気なくこれに乗った私はずいぶん幸運だったようだ。車内には、運転席からの風景を撮影している人、レコーダーで走行音を録音する人の姿もあり、沿道には大きなカメラを持った人の姿がちらほら見えた。
終点の浜寺駅前で下車し、浜寺公園内を散策した。浜寺公園もまた1873年開園という歴史ある場所で、海水浴場は1962(昭和37)年には埋め立て工事のために無くなってしまったが、そのかわりに作られた大きなプールや、「子ども汽車」やゴーカートのがある交通遊園があり、子どもたちの遊び場として今も人気だ。
園内にはかつてここが海岸であった名残りを留める松林が広がっており、何本かの幹には集団飲酒禁止を呼びかける掲示物が巻き付けてあった。
大阪湾へとつながる浜寺水路の向こう側は堺泉北臨海工場地帯と呼ばれる埋立地で、三井化学の大きな工場や発電所などが立ち並び、塔から白煙が上がっている。かつてここで海水浴をしていた人々がいたことが容易には想像できない景色だ。
2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。
プロフィール
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。