(創業51年の喫茶店に踏み切り音が響く
浜寺公園を散策した後、再び阪堺電車に乗って住吉停留場を目指した。阪堺電車は大阪市住吉区にある住吉大社のすぐそばを走っており、住吉停留場や住吉鳥居前停留場で下車すれば神社はほぼ目の前だ。住吉大社は全国各地にある住吉神社の総本社で、第一から第四本まである本宮は国宝に指定されおり、全国的にも知名度の高い神社である。
その住吉大社への参拝はさておき、住吉停留場で下車した私が真っ先に向かったのは「タンポポ」という喫茶店だった。かつてこの店を取材させてもらったことがあり、久々に訪ねてみたくなったのだった。
久々にお会いしたマスターの松本さんに、改めてこのお店の歴史についてお話を伺った。それによると、タンポポは2022年の3月で創業51年を迎えるという。調理師学校を卒業してホテルのシェフになろうと考えた若き日の松本さんだったが、就職した先で配属されたのは“喫茶部”だった。10年ほど勤めた後、自分で開いたのがこの店だという。生まれも育ちもここ、住吉なのだとか。
そんな話を聞いている間にもカンカンと踏み切りの警報機の音が聞こえ、ほどなくして走行音と振動が伝わってくるほど、この店は阪堺電車の線路に近い。
――50年以上前から「タンポポ」はずっとこの場所でやっているんですか?
「そうそう。昔はね、ここに踏み切り番の人がおって、そのおっちゃんが踏み切りを上げ下げしてはったんですよ。自動じゃなくて、人間がやっとった。その時は楽しかったな。踏切のおっちゃんがここでコーヒー飲んでると、外に人が通るたびに『あれ、どこどこの奥さんやな』ゆうて、町のことみんなしっとったわ(笑)。いっつも踏み切りで見てるからね。あと、今はもう来えへんけど、近所の交番から警察官も来てくれとったんですよ。今やったら警察がこんなとこでコーヒー飲んどったら笑いもんや。なんか言われるわ」
――マスターはお店を始める前からこの辺りに住んでいたんですか?
「生まれも育ちもずっとこの場所。この辺はね、人間がええんですわ。町内会も仲いいしね。小学校、中学校もこの近所ですわ。高校は関西大学の付属高校に行ってね、付属高校やからスッと簡単に大学まで入れるもんやと思ってたら、すべってもうた(笑)。それで調理師学校に行ったんですわ」
――すべってしまったというのは、あまり勉強をしなかったとか?
「いや、タバコ吸うてね(笑)高1から吸うとったから。バレてへん思とったらバレとったんやな。それで大学あきらめてね。調理師学校もここから通ってた。大阪から出ようと思ったことはなかったね。友達がぎょうさんおったからね。今でも地元の友達は来てくれますよ。でも、この歳になると一人亡くなり、二人亡くなりで、寂しいもんですわ。生きてるだけが儲けもんや」
――この辺りだと、子どもの頃は何をして遊んでたんですか?
「ビー玉とかベッタとかね。ベッタゆうのは、メンコやな。あとは、住吉神社でね、燈篭の所に二手に分かれて、子どもらでパチンコの撃ち合いしとったんですわ。それで全員警察に連れて行かれた(笑)」
――パチンコの撃ち合い!それは、弾はビー玉とかですか?
「いやいや、木の実を拾ってね、それを撃っとったんですわ。そやから当たっても痛ないねん。やけど、誰か通報したんやろな。全員連れていかれて、小学校の頃でね、学校の先生が迎えに来てくれてな」
――住吉大社の境内が遊び場だったんですね
「遊び場だったね。昔は縁日も華やかやったよ。町も変わった。ここの向かいも、マンションやなしに病院でしたもんね。それが今はマンション。15階やって。そやけど、ええ商売さしてもろうてます。4年や5年なんかすぐ経つね。50年あっという間ですわ」
――あっという間の50年ですか。特別に思い出に残っていることはありますか?
「一番の思い出は、ちょうど商売し出した頃に、バブルの最中やったもんで、ヨーロッパ旅行に行ったんですわ、嫁さんと二人で。フランス、イタリア、スイス、1週間ぐらいやったかな。旅行会社が組んでくれて、近所の人も一緒に行って、みんな景気よかったんやな(笑)。フランスでカフェオレを飲んできたから、うちのカフェオレは本場の味やね」
――タンポポはずっとマスターがお一人でやっているんですか?
「いや、嫁さんと二人でずっとやってたんやけど、嫁さんがちょっと体悪くして、それで、一番忙しい時に一人でやるようになったんですわ。だいたい嫁さんが主になって働いてくれとったからな。出前っちゅうのがあって、それこそ警察までコーヒーとかサンドイッチとか持って、嫁さんが歩いて出前してた。すぐその辺に麻雀屋があったんや。『コーヒー持って来てー』ゆうて電話かかってきて、よう行ったね。麻雀屋さんももう無くなったね」
――マスターは今もお元気ですか?
「おかげさんで元気にやってます。お客さんも来てくれるしね。ちょっと前も九州からお客さんが来てくれはって、『コロナかからんように』ゆうて、こんなお守りくれまして」
「お守りのおかげでコロナにはかかってないわ。住吉神社のまわりはコロナかかってる人おらんみたいやね。御利益あるみたい(笑)。最近、足が痛いけどね。チャリンコは乗れるからスーパーには行ってますわ。さすがに歳には勝てんです。もう78ですわ」
――お体に気をつけてくださいね。
「うちは能町みね子さんと、難波里奈さんが本で紹介してくれて、それで全国からお客さんが来るようになって、ありがたいですわ。50周年おめでとうゆうて、二人でお花も送ってくれはって。あと、これも自慢しとくかな」
「子どもさんのファンがおるんやで。幼稚園ぐらいから来てくれてな、今は確か小学校5年ぐらいになるんかな?ずっとファンやゆうて。お父ちゃんとお母ちゃんと三人でいっつも来てくれんねん」
マスターの淹れてくれるコーヒーはすっきりしていて、後味に少し酸味が残って美味しい。「注文受けてから作るから、えぐみがないでしょう。そのかわりちょっと待ってもらわんならん(笑)」と、マスターがじっくり仕上げてくれるコーヒーをもう一杯おかわりして、他のお客さんが来たところで店を出た。
オミクロン株の流行で感染者数の増加が止まらないここ最近の状況が早く好転しますようにと住吉大社にお参りして、阪堺電車に乗って天王寺駅へ向かう。
天王寺駅前停留場は高さ300mを誇る高層ビル「あべのハルカス」のふもとに位置している。人も車も多く、ここまで来ると、浜寺公園や住吉大社あたりで過ごしたのどかな時間が嘘のように感じられる。
家に戻ると、リュックの中から道案内のお礼にいただいた品が出てきた。もらった時は満腹だったから、結局食べられずに持って帰ってきたのだ。コンビニのおにぎりのフィルムを剥がして食べてみると、「ゲコ亭」で食べたお米とは違うけど、でもこれはこれでやけに美味しく思えるのだった。
(つづく)
2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。
プロフィール
1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。