■地下室の遺体
報道関係者たちが連れて行かれたのは巨大なブチャ市立公園の一画、子ども用の宿泊施設の前だった。現場は殺気立っていた。すでに到着していた6、70人ほどの報道陣が押し合っていた。内務省のゲラシチェンコ氏の「ジャーナリストとしてではなく、人間として行動してくれ」という発言はここでのことだ。
みなこの後始まる「何か」を待ちかねていた。ウクライナのメディアはもちろん、欧米のメディアがたくさん集まっていた。日本からは私たちだけだった。
「5人の遺体ですよ。拷問されたらしい」
あまりの人だかりで私はしばらくその場を離れていたため、ゲラシチェンコ氏のスピーチを撮影していた八尋さんが教えてくれた。
建物の地下で、ロシア軍によって拷問され殺されたとされるウクライナ人の遺体を報道陣に公開しているのだという。ジャーナリストが5人ずつ地下に降り、その遺体を撮影する時間を1分与えられているらしい。八尋さんはすでにもう遺体をみてきたそうだ。
死体をみるために列を作るという行為に不思議な感覚を覚えつつ、私も並んでみることにした。
待っていると、ゲラシチェンコ氏が私の前を通りかかった。日本人女性は珍しかったようで、少し挨拶しただけなのになぜか彼は私の顔を覚えていた。唐突に彼は私に尋ねた。
「あなたは死体を見たことがありますか?」
戸惑いながら、「あります」と答えると「はぁ」と彼は一人ため息をついて去っていった。質問の意図がよくわからなかったが、印象に残るやりとりだった。私のような戦場慣れしていなそうな取材者が、平和だったキーウ周辺に拷問遺体を見に来るということにショックを受けているのだろうかと想像した。彼にとってはブチャの変わり様も、この拷問遺体見学会も耐え難いことだったのか。
ようやく順番が回ってきて階段を降りる。お菓子の袋やペットボトルが散乱している。下までたどり着き、右の部屋に入ろうとしたところで後ずさった。
砂っぽいむき出しの地面の部屋に5人の遺体が無造作に置かれていた。仰向けになり体を反らせ、目のあたりが陥没している。後ろ手に縛られているようで、鼻や口には砂が深くまで入り込んでいるようだった。血のかたまりも見える。奥のほうにある遺体は顔がえぐれたり、生々しい頭部の断面がみえたりした。
それがロシア軍に拷問されたとされるウクライナ人の遺体だった。
部屋の端には白い紙の上に殺害に使われたと思われる薬莢がいくつも並べられていた。警察官が遺体に当てる照明を持ってずっと立っていた。
報道陣全員に見せ終わった後、地下から遺体は担架で運び出された。運ぶのは地元のボランティアの人たちのようだった。
関係者か報道陣の誰かが言った。
「手の紐を切ってあげて!」
ボランティアの人たちがナイフで紐を切っていった。
警察が1人の遺体の懐を確認し、彼の財布を胸の上においた。髪の長い若い女性の古い写真が入れてあった。妻か娘なのだろう。
ウクライナ政府の4月5日時点での発表によれば、ブチャでは少なくとも340人の市民が殺害された。ブチャの町は大砲などによる部分的な破壊はあったが、地区によっては無傷なところも多い。
亡くなった人の多くが至近距離で狙われ、殺されたことになる。町には異様な雰囲気、恐怖感が残っていた。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。