ウクライナの「戦場」を歩く 第8回

「人道回廊」のウソホント

伊藤めぐみ

■テントの中に入ってみると

駐車場には大きなテントが立てられていた。中の様子を見てみることにする。

中央のスペースにはいくつもの椅子とテーブルが並べられ、避難してきた人たちが休憩できるようになっていた。奥には食事を提供するテーブルがあり、ボランティアたちが食事を皿によそい、お茶やコーヒーを手渡している。

また、宿泊施設や今後の行き先などの相談にのる行政担当者が待つ机もある。寄付された大量の洋服や子どものおもちゃも置いてあった。

避難民ハブのテントの中。4月24日に筆者が撮影

まずは話を聞こう。アンドリと八尋さんと一緒に、テントの端に座っていた年配の女性と娘に声をかけてみた。今朝早くにロシア軍の占領地から自分たちの車で逃げてきて到着したばかりだという。疲れ切った様子だった。

左、母親のルボフ・スコリクさん(69歳)と右、娘のバレンティア・クレモビッチさん(33歳)。ルボフさんが抱えているのはバレンティアさんの子ども。4月24日に筆者が撮影

「マリウポリに住んでいましたが、ロシアの侵攻が始まってすぐに別の村に行きました。でもそこもロシア軍に占領されていたんです。2ヶ月間、市場では何も手に入らず電気もない環境で過ごしました」

彼女らはもともとドネツク州のある町の出身だそうだ。しかし2014年に親露派が勢力を伸ばして以降、マリウポリに引っ越したという。二度も家を追われているのだ。

今回のロシアの侵攻では、比較的安全だと思っていた村にマリウポリから逃げたものの、そこにもロシア軍の手が及んでいた。ルボフさんが言う。

「もう一人の娘の夫はロシア領に連れていかれたんです。今も連絡が取れませんが、カレリア(筆者注:ロシア北西部のフィンランド国境沿いの地域)にいると彼の家族経由で聞きました」

強制移住が行われているというのだ。その後、一家は車での脱出を決意する。

「ここに来るまでにいくつものロシア軍の検問を通りました。最後のロシア軍の検問では爆発があって、さらにロシア軍の戦車が攻撃してきました。私たちの後ろにいた30台ほどの車がどうなったかわかりません」

二人とも疲労困憊していたが、一所懸命に現状を伝えようとしてくれた。お礼を言って別れた。

テントの端には行方不明の家族を捜すポスターがいくつも貼られていた。占領下の地域で外出したり、またウクライナ側へ避難しようとしたりしていた中で、連絡が取れなくなってしまったのだ。携帯をなくしただけならよいが、戦闘に巻き込まれて殺されたか、ロシア側に連れていかれた可能性も高いだろう。

行方不明者を捜すポスター。4月24日に筆者が撮影
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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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