■スーパー・ボランティアのマックス
しかし、なぜか私たちが訪れたこの日はひっそりとしていた。はじめて来たので比べようがないのだが、ニュースで大勢の人たちがバスで到着する様子を報じていたのとはだいぶ違う。ボランティアの姿をみかけるばかりだ。
再び、テントの中に戻り様子を窺ってみることにする。
「はい!」
背が高くてチェックのシャツを着た若い男性に声をかけられた。英語の「ハーイ(Hi)!」ではなく、イエスを意味する日本語の「はい」に近い発音だ。
いつもならそのまま会話を始めるところだが、取材のことで頭がいっぱいで、うわの空で「はい!」とだけ答えて通り過ぎてしまった。
まったく私は見る目がなかった。数十分後、アンドリがやってきて、
「すごいボランティアがいるよ! インタビューしてみて!」
と興奮しながら言うので、会ってみると先ほどの彼だった。
彼、マキシム・バイネル、通称マックス(27歳)は日本のアニメと東アジアのお茶文化が大好きな「スーパー・ボランティア」だった。
先ほどの非礼を詫びつつ、話を聞かせてほしいとお願いすると快諾してくれた。
避難民個人の体験とは違って、彼は全体の状況を俯瞰する言葉を持っていた。
「侵攻が始まって2週間経ったくらいからザポリージャに避難民が来始めたんだ。最初はみな何も起きないと思っていたんだろうね。初期の頃はマリウポリの人が多かったけど、次第に他の占領地からも避難してくるようになったよ」
彼はプログラマーで、応用数学や言語の勉強もしているそうだ。今は3日置きにここで避難民のためにコーヒーやお茶を入れるボランティアをしている。
マックスはボランティアの本来の任務を超えて、支援団体同士の情報交換の仲介や、流暢な英語で外国人取材者のサポートもしていた。
ある日のことについてこう語ってくれた。
「真夜中に84台のバスが到着したことがあった。それから窓のない貨物トラックも数台来た。荷台に50人ずつ女性や子どもが乗っていたよ。聞くと11時間かけて避難してきたらしいんだ。
シュールな光景だった。灯火管制であたりは真っ暗。星が輝いていて、空襲警報が鳴っている中、僕は避難民の手を取ってトラックの荷台から降りるのを、夜通し助けていたんだ」
マックスは今でも信じられないというようにその時の様子を描写した。
彼は私たちにザポリージャでの支援の取り組みについても説明してくれた。
「知ってる? ザポリージャからマリウポリまでわざわざ自分の車を走らせて、避難民を救助してくるボランティアの運転手たちがいるんだよ」
それはこういうことだった。
ドネツク州出身の身分証明書を持っているウクライナ人がいる。ドネツク市などは2014年からロシアの傀儡政権下にあるので、ロシア兵は彼らのことを自分たちの仲間だとみなして占領地の検問も通してくれる。そのため彼らはこの大役を買って出て救助に走っているのだ。
それでもロシア軍に何をされるかわからない、戦闘地に入る危険な役割だ。
「ある運転手は避難民を助けていることがロシア側にバレてしまって、裏切り者だと訴えられているんだ。だから彼はもう行けない。他にも行方不明になった運転手もいる。殺されたか、刑務所にいれられたのかもしれない」
ぜひその運転手たちの様子をみたいと考えていると、マックスはこう言った。
「でもね、先週までは毎日、運転手たちは行き来していたんだけど、今は公式には『人道回廊』が閉まっている状態なんだ」
「人道回廊」とは、ロシア政府とウクライナ政府の合意のもとで決められた民間人の避難のためのルートのことだ。
国連や赤十字も時に仲介して、安全に移動できるように、双方が決められた日時やルートには攻撃を行わないと合意し、用意されたバスなどで民間人の移動を行う。
シリア内戦(2011年〜)でも同様の措置が実施されていた。しかしアサド政権と彼らを支援するロシア軍は自分たちに都合のよいルートを決め、避難者を拘束し、避難できずに残った人たちのいる場所を徹底的に爆撃した。その実効性はかなり眉唾ものであった。
ウクライナでも避難するバスをロシア軍が攻撃しているとされ、安全が保障されているとは言い難い状態だった。
それでも一時期は約束が守られ、ある程度の人たちは避難できていたが、それがここ数日前から全く実施すらされていないという。
「人道回廊がなくなるということは安全に逃げられるルートがないっていうことだからね。みんなただ待つしかないんだ。殺されにいく必要はないから。あとは自分の車を持っている人が危険を覚悟で逃げてくるくらいさ」
この避難民ハブのコーディネーターのオレクセイ・サボイツキさん(38歳)によると、人道回廊が実施されている間は多い時で1日に4千から6千人の避難者が到着していた。しかし、今では1日に500から800人に減っているという。
人々は占領地やマリウポリに閉じ込められてしまった状態なのだ。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。