WHO I AM パラリンピアンたちの肖像 第6回

宿敵イラン

サフェト・アリバシッチ 激動の時代に、シッティングバレーボールと出会う

黒川祥子
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1990年代前半、サフェト・アリバシッチの祖国は激動のときを迎えていた。隣人同士が殺しあう最悪の悲劇となった、ボスニア内戦……。幼少期のサフェトもまた、内戦によって左足のかかとを失う重傷を負った。祖国に捧げた金メダル、その意味とは。WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM

 バルカン半島北西部に位置する、ボスニア・ヘルツェゴビナ。ボスニア内戦の記憶が未だ生々しい、この小さな国には、オリンピック・パラリンピックを通して唯一、金メダルを獲得している競技がある。

 それが、パラリンピックのシッティングバレーだ。金メダルどころか銀メダルも銅メダルも、ボスニアという国にはこの競技以外、一つももたれされてはいない。

 アテネパラリンピックで初めて金メダルに輝いたボスニア・シッティングバレーだが、次の北京では銀メダルに甘んじ、ロンドンで再び金メダルに返り咲いたものの、連覇をかけたリオでは銀メダルと涙を呑んだ。

 頂上対決の相手はいずれも、イラン。男子シッティングバレーの覇者となる2つの国は皮肉にも、戦場となった苛酷な過去を持つ。ボスニア内戦については後述するが、イラン革命直後のイランと、サダムフセイン独裁下のイラクとの間で、1980年に勃発したイラン・イラク戦争は8年もの長期にわたり、両国で100万人前後の死者を出す激しい戦闘が繰り広げられるものとなった。

戦争に起源を持つスポーツ

 そもそもシッティングバレー自体、戦争により体が不自由になってしまった人によって、1956年にオランダで考案されたスポーツという始まりを持つ。

 下肢などに障がいのある選手がプレーする、6人制のバレーボールだが、シッティングというその名の通り、床に臀部の一部を常に接触したまま行うものだ。

 シッティングバレーは1980年にパラリンピックの正式種目となり、83年からは世界選手権も開催され、世界へ広まる競技となった。

 ルールはボールや得点、セット数などは健常者バレーと同じなのだが、ネットは男子が1・15メートル低く、コートも小さい。センターラインからアタックラインまでが2メートル、アタックラインからエンドラインまでが3メートル、サイドラインが6メートル。健常者バレーより一回り小さい、30平方メートルのエリアで、シッティングバレーは行われる。

 健常者のバレーと違って、競技者の位置は臀部の位置によって決まるので。手足がアタックゾーンやコート外のフリーゾーンにあってもいい。ネットを挟んで、相手の足がこちらへはみ出していてもいいし、サーブの際は臀部がエンドラインの外に出ていれば、手足がコート内に入っていてもいい。

 また、アタックやブロックの際に臀部をコートから浮かしてはならないというルールがあり、「リフティング」という反則を取られる。レシーブは短時間であれば臀部を浮かしてもいいが、その判断は審判に委ねられる。

 シッティングバレーの最大の特徴は、そのスピードだ。健常者バレーと同じボールを使っていると思えないほど、ボールが軽く見える。両手を使って素早くボールの下へ動き、床に背中をつけてボールを上げる。よいトスを上げることができるよう、セッターへつながる正確なレシーブが重要なのは、健常者バレーと変わらない。そしてよいトスが上がった時には、豪快かつ重量感のあるアタックが炸裂する。手に汗握るラリーは、シッティングバレーの最大の見どころだ。選手は見事な反射神経で、肩でも足でも頭でもボールを上げる。ボールが生き物のように変化するので、反射神経と読みが健常者バレー以上に求められ、アタックだけでなく、ブロックもフェイントも重要な武器となる。

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内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。

プロフィール

黒川祥子

東京女子大学史学科卒業。弁護士秘書、業界紙記者を経てフリーに。主に家族や子どもの問題を中心に、取材・執筆活動を行う。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待~その後の子どもたち』(集英社)で、第11回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著作に『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英社)、橘由歩の筆名で『身内の犯行』(新潮社)ほか。息子2人をもつシングルマザー。

 
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