3セット目をもぎ取ったサフェトのプレーで、流れは一気にボスニアのものとなる。
4セットの12点目、2枚ブロックのわずかな隙をつく相手コートに鋭く切り込むアタックは、「これぞ、世界一!」という迫力とスピードを宿敵・イランだけでなく、満天下に示した。
もはや、これが最終セットであることは誰の目にも明らかだった。イラン選手が意気消沈していることが、表情から読み取れた。
24対15、いよいよ、ボスニアのマッチポイント。キャプテンのデラリッチが、イランのアタックをブロック。イラン選手がレシーブしたボールは大きく後ろへ弾かれ、エンドラインを割ってそこで落ちた。
バルカンの小国、ボスニア・ヘルツェゴビナが宿敵・イランにリベンジを果たし、念願の金メダルを手にした瞬間だった。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
「4セット目は前より、ラクに取れた。どの決勝でもそうだが、自分が最後の得点を決めたいものだ。でも後ろのラインにいたので、チームメイトがその役割を果たしてくれた。ヨーロッパ選手権や世界選手権も価値のあるものだが、パラリンピックとオリンピックは全スポーツの頂点だ。最強の選手たちが最高の状態で臨むわけだから、他の大会とは比較にならない。オリンピックのメダリストと同じように、パラリンピックのメダリストは永遠に名を残すことになる」
寡黙で、試合中もほとんど感情を表に出さないサフェトが自陣に戻った瞬間、両手でガッツポーズを作り、膝立ちになり、ウォーと獣のような雄叫びを上げた。
ここぞという場面に、冷静でクレバーな判断力を発揮し、試合を決めたサフェト。そのプレーが認められ、ロンドンパラリンピックの最優秀選手(MVP)に選ばれた。
ニヤリと浮かべた柔らかな笑み
国旗が中央に高々と掲げられ、金メダルを胸にしたボスニア選手は、誰もが晴れやかな表情だ。もちろん、サフェトもそうだ。
「最高の気分だったよ。世界に対して、ここに小さな国があり、その名前がボスニア・ヘルツェゴビナなんだとアピールできたんだ。ここ数年間にわたって、何倍も大きな国を相手にして、このスポーツでは、ボスニアという小さな国がチャンピオンなんだということをアピールしてきたが、ここでまた証明できたのだから」
サフェトにとってシッティングバレーは、障がい者となった自分を再生させてくれた唯一のものだ。
「シッティングバレーを通じて、いろいろなものを手に入れた。もし、シッティングバレーをしていなかったら手に入らないようなものをね。このスポーツに、本当に感謝しているよ」
口数の多くないサフェトが、ニヤリと柔らかな笑みを浮かべる。
「バレーは人生の一部になっているよ。オレの人生を救い、喜びを与えてくれた。バレーを通じて祖国の復興をアピールでき、オレ自身の力も世界の舞台で証明できた」
サフェト・アリバシッチ。
12歳で地雷を踏んだことで、大きく変わってしまった人生。
「しかし時は流れ、今は自分のやるべきことがわかっている。『信じるもの』と『守るべきもの』があり、そして何より、『戦う理由』があるのだから」
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。