サフェトが踏んだ地雷もまた、足を攻撃するものだった。
その日、サフェトは母と一緒に、家がどうなっているのかを確認するために避難先から家へと歩いていた。
「家には火がつけられたようだった。全部が燃えて無くなっていなければいいなと願いながら、母とその道を通ったんだ」
野道のような細い道、ふと脇の草むらによろけたサフェトは、転ばないように柵を掴もうとした。だが、柵は掴めなかった。次の瞬間、サフェトの身体は道へと吹き飛ばされた。
「最初は砲弾が落ちてきたのかと思った。ところが足を見た時、何が起きたのかがわかった。砲弾ではなく、地雷を踏んでしまったんだと」
母・ズレハはその時のことを思い返すと、今でも涙がこぼれてくる。
「その時、煙しか見えませんでした。一体、何が起こったのか、なぜ煙が上がっているのか不思議に思い、息子に駆け寄ると、足が血だらけでした」
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
瞬間、サフェトの世界が暗転した。
「ここで間違った一歩を踏んでしまったばっかりに、自分の人生が全く変わってしまった。3歳で父が亡くなり、10歳で戦争が始まり、そして12歳で足の一部を失う。人生には悪いことばかり起きるんだと思ったよ」
最初は痛みを感じず、血がドクドクと流れ、なぜか、あたたかかった。近くに味方の軍がいたので、母と一緒に急いで向かった。足に包帯が巻かれ、バンに乗せられ、救急病院ヘと向かう。
「足の一部を無くしたことは自分でもわかっていた。足全部を失うことにならないよう、そう祈っていた。病院へ行き、手術を受けた。その後ははっきりしてなくて、ある時、目を覚ましたんだ。家にいるとばっかり思って、トイレに行こうと立ち上がったんだ。普通に、足があると思って。それで倒れてしまった。それから、また手術を受けたんだ」
足が吹き飛んだのはわかっていた。数日後、医師から単純な怪我ではなく、かなり深刻なものだと伝えられた。医師たちは何とか、足を切断しなくて済むよう、足を救おうと考えていた。
ここに地雷があるってわかっていたら…
母・ズレハは医師から告げられた。
「足を切断させたくなければ、外国で治療すべきだ」
サフェトはたった一人でドイツへ渡り、97年までドイツで治療を受けることとなった。
「ドイツで、左足かかとの切断手術を受けなければならなかった。少年がたった一人、知らない国へ行き、そこで何とか暮らして行くのは本当につらかった。母とよく電話で話していたけど、泣いていた方が多かった」
ついちょっと前までは、同級生たちと一緒に走り回って遊んでいた。ビー玉やメンコ遊びでも負けたくなかったし、サッカーでも自分のチームが勝たないといけないと思っていた。
「運よく足の切断は免れたけれど、だけどもう、自分の周りの世界が崩れ落ちたと感じたんだ。これからは同級生たちと同じ権利を持つことはできない、彼らと一緒に走ったり、サッカーをすることはもう、できない。身体の一部を失ったことは、自分の世界の終わりだとはっきり思った」
全てが変わった場所に立ち、サフェトは今もはっきりと思う。
「20年以上前のことだけど、ここに地雷があるってわかっていたら、踏んだりはしなかった。でも、ここにあったんだ、地雷が。それを左足で踏んでしまった……」
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。