プラスインタビュー

日本が世界に誇る“ノマド”的ギタリスト、村治佳織の今。

村治佳織

「大人の波には飲まれたくないと思ってたんです」

──初めての単独演奏の「津田ホール デビューリサイタル」が31年前(2024年現在)の3月31日で、それがデビューの日ということですね?

はい。14歳でした。アルバムのCDデビューも決まってたんですけど、その前にまずは1人のコンサートを企画していただきました。それが中学2年と3年の間の春休みで、15歳になる2週間前でした。

──15歳でアルバムデビューを果たし、昨年3月末には30周年を迎えました。ご自身の作品を振り返ることはありますか?

自分のアルバムを聴けるようになったのは、デビューから10年が経過したくらいの頃からですね。過去のアルバムは、健気な妹が弾いてるような感覚で(笑)。それまでは、自分の演奏はまだまだ未熟な点も多いし、もっともっと先に行きたかったですから、楽しんで聴くという感覚はありませんでした。
当時、25歳だったわけですけど、10年目でビクターエンタテインメント時代のベスト盤『エステーラ』(2004年)をリリースすることになり、そのとき初めて、そこまでの10年という時間を振り返り、アルバムをじっくり聴いたりしました。ちょっとだけ大人になったなみたいな。

十代の頃は、とにかく大人の波には飲まれたくないと思ってたんです。ある意味、商業的な意味での大人の金欲にはまみれないぞ! みたく(笑)。でも幸いなことに私の周りは私が芸術性を磨いていけるよう大切にしてくださる大人の方々ばかりでしたね。
今はとにかく「自分が楽しんで弾く」。私自身が楽しめないでどうしてお客様が楽しめるんだ、と言う視点になっています。

──当時は、ブローウェル国際ギター・コンクールや東京国際ギター・コンクールで優勝など錚々たる経歴ですが、どんな感覚でしたか?

勿論、日々一生懸命練習してましたが、指から血で滲んだり超スパルタとかではなくて、本当に普通に毎日練習をこなしてきて、そうなっていったという感じなんですよね。
思うに積み重ねの力ってやはり大きいと思いますし、なんと言っても両親が安定した環境を作ってくれていたおかげです。周りから見ると華やかなイメージもあるかもしれませんが、いわゆる平凡な毎日をずっと送っていました。学校へ行って帰ってきて練習して、の繰り返しみたいな(笑)。

──幼い頃から緊張はしなかったんですか?

デビュー当時はありましたけど、頭が真っ白だったりとかはなかったですね。肩に力が入るくらいの感じで。ステージでも1人じゃないって思うようにして、作曲者もどこかにちゃんと一緒に居てくれるし制作チームの人も居る、みたいな意識で心をどう作っていくか、でした。
あの頃は、先生に習って一生懸命練習してきた自分の出せるものを演奏し、お客様に聴いていただくことで精一杯でした。

でもそれは年々、徐々に変わってきました。今はお客様の大事な時間をお預かりしているという心地よい責任を感じています。とにかく楽しんで帰っていただきたいっていう。変に緊張してるのも申し訳ないですし、硬くなって良いパフォーマンスができなかったらお客様に対して失礼にあたってしまうとも感じます。
まず自分でリラックスする心を作って、皆様には心地良い時間を過ごしていただきたいです。

──心の強さを感じます。

元々弱くはないと思うんですけれども、持って生まれたものと周りの環境がうまく絡み合ってきたんですかね。せっかく生まれてきたので一生懸命生きるしかない、と。強さが裏目に出るとしたら身体と心のバランスです。体力はごく普通なので肉体的にガタがこないように、それだけは気をつけています。

──「1日10時間の練習」という記述も読んだことがあります。

それはもう少しキャリアを重ねてからですね。レコーディング前とかに集中しつつ、そのくらい練習することもありました。

──フレットを抑える方の指先は痛くないですか?

指先にはたこが出来ていて硬くなってるので大丈夫です。30代くらいの頃、忙しいこともあって練習量がちょっと減ったこともありましたし、大病を得たときは休みました。
そこからまた練習を始めるとやっぱり長期で休んでましたから、いろんな筋肉が落ちちゃうなと感じたんですね。一定ラインの練習量は確保しないと後が大変だなと実感しました。

2、3ヶ月お休みすると肩甲骨の裏が痛くなったりするので、指先の筋肉だけで弾いてるわけじゃないんですよね。無意識の内にすごい複雑な指先と身体の動きをしながら演奏は成り立ってるんだなぁっていうのがわかるので、そうなると怠けてられません。
子供の頃は特に基礎練も大事だったんですけど、ここから先は違う意味でも長く続けるならやっぱり基礎練です。

──「1万枚で大ヒット」といわれた当時のクラシック界において、98年に発売された『カヴァティーナ』はクラシック分野のCDとしては異例の20万枚以上の大ヒットを記録しました。当時はどう受け止めましたか?

当時所属のレコード会社・ビクターエンタテインメント様も新聞に広告を出したりとか、様々なPR等でサポートしてくださり、大変お世話になりました。
また、テレビ番組の『情熱大陸』や『トップランナー』が同じ時期に放映されたりとか。そういうタイミングって計算できないですよね。天の計らいのように感じられます。CM出演にしてもそうなんですけど、出演させていただいた番組をCMのキャスティングディレクターさんとか企業の社長さん等に拝見いただけたらしいんです。それで、スムーズにCM出演が決まったという経緯がありました。

応援してくださる周りの方々の熱量がまた別の人を惹きつけてくれた気がします。その頃から、コンサートに来てくださる方の雰囲気としてギター愛好者だけではなく、クラシックギターを聴くのが初めてという方も増えたのかなっていうのは感じてました。

『情熱大陸』の収録があった当時の、毎日のメモ書きが出てきたんです。久々に見ましたけど要件だけが淡々と書かれてありました。「今日は○○時から撮影」「○○にスペインに行く」みたいな。
今も手書きでメモはよく書きます。人の習性って変わりませんね(笑)。
『情熱大陸』の撮影当時はハタチそこそこ。カメラの前で、自然体でいることの難しさは感じましたね。大作曲家ロドリーゴにお会いしているときも、涙は流さず、どこかでカメラに撮られているという意識はありました。

取材当日、ご持参いただいたギター「2011年製Jose Luis Romanillos(ホセ・ルイス・ロマニリョス)」
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プロフィール

村治佳織

(むらじ かおり)

クラシックギタリスト。幼少の頃より数々のコンクールで優勝を果たし、15歳でCDデビュー。パリに留学後、積極的なソロ活動を開始。2003年、英国の名門クラシックレーベルDECCAと日本人としては初のインターナショナル長期専属契約を結ぶ。出光音楽賞、村松賞、ベストドレッサー賞など受賞歴多数。CM、テレビ、ラジオなど、メディアへの登場も多い。2018年リリースの『シネマ』は、第33回日本ゴールドディスク大賞インストゥルメンタル・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。2021年には映画『いのちの停車場』(主演・吉永小百合)のエンディングテーマを作曲・演奏。2023年10月18日にデビュー30周年を記念したベストアルバム『Canon~オールタイム・ベスト』を発売。次回作に向けて鋭意準備中。

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