対談

「日本の劣化」を食い止めるカギは「森のようちえん」にある!?【中編】

宮台真司×おおたとしまさ

最近話題の「メタバース」がもつ意外な危険性

宮台 必要なのは、コントロールじゃなく、フュージョンです。僕の子どもの扱いって、古代ギリシア人と似ているでしょ。そこでの僕の言葉はロゴスじゃないんですよ。言葉の外を想起させるための「兆候としての言葉」です。

おおた 「ウンコ」なんてピュシスそのものにつながる言葉ですからね。子どもがそういう言葉を好むのって、そういう言葉が言葉の外とつながっているって知っているからですよね。それを「そんな言葉は使っちゃダメ!」なんてやったらもったいない。

宮台 僕はもともと数理社会学者で、ロゴスの達人です。でも、あるときから、言葉の外につながる言葉を交ぜるようにした。具体的には96年に朝日新聞の論壇時評「ウォッチ論潮」を担当したときです。さもないと伝わらないからです。

おおた 僕もよく、「子どもにこんなことがあったんですけど、どんな『声がけ』をすればいいですか?」みたいに聞かれるんですけど、ほとんどのケースで言葉って要らないんですよね。まなざしであったりふれあいであったりで十分伝わる。特に親子関係の場合は。

宮台 「にらめっこしましょ」でもいいけどさ、子どもの目をじーっと見る。毎日子どもの目をじーっと見ている時間ってどれだけあるんでしょうね。目をじーっと見るだけで言外が露出するのにね。

おおた そうやって親子の間の身体性も失っていく。そうなるともう「身体性って何?」って、実感として伝わらない。そこにメタバースという、もう一つのユニバースが生まれようとしている。年末年始の番組で、宮台さんはこれを新たな権威主義であると指摘して、それに抗うゲリラ戦的な対応として森のようちえんにも触れていました。

宮台 もう20年の歴史がある話ですけれど、テクノロジストとして大成功して投資家になったピーター・ティールの新反動主義から、作家ニック・ランドの加速主義へ、というアメリカの思想的な流れがあります。

「ドラッグとメタバースとベーシックインカムがあれば再配分などしなくてもひとは幸せになる」と訴えるわけです。「感情が劣化した一般人をドラッグとメタバースのテック世界に収容せよ、政治は卓越者である俺たちが統治する」と。

そうすることで、卓越者が「古い権威主義」で統治する中国と、やっと闘えるようになるのだと。民主主義の制度をそのままに、テックを使ってひとを民主政から引き剥がすという意味で、僕は「新しい権威主義」と呼びます。

おおた 寡頭政治的なスタンスですね。

宮台 はい。中国は「古い権威主義」。政治は俺たちに従えと。トランプ支持者の知的中核に位置する新反動主義者は「新しい権威主義」。クスリ決めてゲームやってろと。共通して民主政を信頼しない。クズの投票で政治が破壊されると。

おおた 宮台さんもそれはよく仰いますよね。

宮台 20世紀半ば、政治学者ラザースフェルトが、民主政が働く条件は、小集団のオピニオンリーダーがクズを折伏することだとしました。幸いその頃から中流が分厚くなり、クズを含めてひとが人間関係資本に恵まれるようになった。

中流が分厚くなる以前の20世紀前半は、ワイマール議会がヒトラー独裁を認めたことで、民主政はやばいというのが政治学の常識だった。それが、製造業の隆盛で中流が分厚くなり、人間関係資本が豊かになって民主政はOKとなった。

ところが冷戦終焉後、90年代後半からのグローバル化(人・物・カネの移動自由化)と、テック化(インターネット化とIT化)で、あっという間に中流が分解して人間関係資本が空洞化。感情の釣りが常態のポピュリズム政治になった。

中流の分解と人間関係資本の空洞化で、生きづらくなる。心が痛んだひとに、排外主義と差別で痛み止めを処方してやろうというのがポピュリズム政治。それで民主政がめちゃくちゃになった例が、ブレグジットとトランプ大統領誕生。

自分が気持ちいいものに投票する生きづらいひとばかりの社会では、民主政は機能しない。排外主義や差別の煽りで、戦争や内戦も起こる。いっそ実例を見せてしまえというのが加速主義だけど、「新しい権威主義」の現実性がよくわかる。

「古い権威主義」も「新しい権威主義」も、感情的劣化を前にした現実的処方箋だけど、別の現実的処方箋を提案するひともいる。自由主義のチョムスキーや無政府主義のグレイバーや社会学主義の宮台がいう、「小さなサイズの民主政」だ。

「大きなサイズの民主政」では、リソースを持つ者たちがフィルターバブルを構築してデマでひとを動員します。誰がどんな状況にあるか互いに目に見える「仲間意識」がある範囲内で、民主政を回さないと、デマ政治を避けられません。

でも、「小さなサイズの民主政」に必要な近隣の「仲間意識」なんていまさら復活できるのか。無理そうです。でも、ゲーム企業ナイアンティックのCEOジョン・ハンケは、「テックを使えば復活できる」と言うんですね。

彼は、ユニバース(現実)から人々を引き離すメタバース(仮想現実)は地獄だと訴えます。確かに人々をメタバースに収容したら、自称「卓越者」が気候変動を利用した大絶滅計画を実行しかねません。信用できないんですよ。

ハンケはあくまでAR(拡張現実)にこだわる。初期ポケモンGOやいまのピクミン・ブルームみたく、万人に同じモンスターやフラワーが拡張現実としてオーバー・レイされ、現実の出会いを触媒するようなテックを提案するんです。

おおた 現実から人間を遠ざけるためのメタバースなのか、つながっているためのメタバースなのか。

宮台 そう。だから、「良いメタバース」と「悪いメタバース」があるということです。一般的にいえば、「良いテック」と「悪いテック」があるんだよ。

おおた さきほどの「良い団地」と「悪い団地」とそっくりな構造ですね。

宮台 そう! そっくりなんです! 現実から閉ざされた「悪いメタバース」に人々を収容するのは、非常に危険です。そこに気づけないのは、もっぱら身体性のないやつらだと言えます。

ゲーム内で全力疾走するために現実内で全力疾走するトレッドミルや、ゲーム内で殴られたら痛みを感じるボディースーツは、開発済みだし、脳内電気刺激で視覚と聴覚以外の五感を感じさせる研究もイーロン・マスクが進めています。

おおたさんや僕は、それでも身体性においてメタバースはユニバースに追いつけないと思う。でも、そもそも身体性がない人間は、追いついたかどうかをジャッジできません。むしろ「メタバースで身体性が回復した」と言い出すだろうよ。

だから、ここも闘いなんですね。メタバースとユニバースの綱引き。ユニバース側の綱を強く引けるようになるためには、身体性のある人間をたくさん育てないと無理です。つまり、森のようちえんが必要な道理です。

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プロフィール

宮台真司

1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。1995年からTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の金曜コメンテーターを務める。社会学的知見をもとにニュースや事件を読み解き、解説する内容が好評を博している。著書は『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』『日本の難点』(いずれも幻冬舎)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『社会という荒野を生きる。』(ベスト新書)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』(共著、ジャパンマシニスト社)、『音楽が聴けなくなる日』(共著、集英社新書)など多数。

おおたとしまさ

1973年東京都生まれ。教育ジャーナリスト。1997年、株式会社リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立。数々の育児誌・教育誌の編集に携わる。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。著書は『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)、『受験と進学の新常識』(新潮新書)、『麻布という不治の病』(小学館新書)、『いま、ここで輝く。: ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』(エッセンシャル出版)、『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』『ルポ森のようちえん』(いずれも集英社新書)、『ルポ名門校 ――「進学校」との違いは何か?』(ちくま新書)など70冊以上。

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