対談

「日本の劣化」を食い止めるカギは「森のようちえん」にある!?【中編】

宮台真司×おおたとしまさ

「身体性のある人間」が消えると何が起こるか

おおた いくらメタバースのテックが巧妙化しても「あれ?なんか違うぞ」と気づけるひとの頭数を増やしていかなければ、世界は新しい権威主義に取り込まれてしまう。日本の劣化どころの話ではなくなってきましたね。

宮台 友愛はまだしも性愛の身体性って、メタバースで再現なんてできないよ。

おおた そうですよね。

宮台 でも、おおたさんや僕はできないって断言するけど、そもそも性愛の相手と目を合わせられないし、喋ると固まってしまうようなひとたちには、メタバースの身体性のほうがましだったりするんです。現にそう言ってるひともいます。

こうした人類史的に明白な劣化を、ウヨ豚の不安教育オンリー(妊娠と性感染症と受験失敗の不安ばかり煽って幸いを教えない)と、クソフェミの人権教育オンリー(加害被害の危険ばかり煽って幸いを教えない)が、加速しているんですね。

この流れは、マクロな国民国家規模では変えられないと思います。だから、いまするべきことは、身体性の豊かさの継承線を、いかに途絶えさせないかということです。

おおた 途絶えちゃったらどうなるんですか?

宮台 途絶えさせない目的は、チャンスが訪れたときに巻き返せるようにすることです。途絶えたら、いまのシステムが加速主義的に潰れたときに、巻き返せなくなっちゃうでしょ。

ところで、いずれ巻き返す必要があるのは、なぜか。僕は高校時代から、特に初期ギリシアを中心とする哲学に詳しいから、「身体性を欠いた倫理」ってあり得ないと思うんですよ。「仲間感覚」があるから、身を捨てる倫理もあるってこと。

最近、イノベイテヴィティを掲げる経済学者たちが中心となって、テストなんかで測定できない能力を「非認知能力」と呼ぶような雑な議論が、主流になっています。さっき「非認知能力」という概念自体がクソだと言いましたね。なぜか。

機能にだけ注目し、人類史の歴史性を弁えないからだよ。だから、僕は「言外・法外・損得外への開かれ」と呼びます。そう呼んで初めて「言葉と法と損得勘定への閉ざされ」が進んできた文明史の全体を、視野に収められるんです。

そうすると、「言葉と法と損得」への閉ざされが、ひとから「力」を失わせるものであることが分かります。「市場競争で勝ち組になるのに必要なのが非認知能力だ」みたいな言い方は、百害あって一利なし。

人類史的には定住は最近です。定住は「言葉・法・損得勘定」が支える。そんな生活はひとの集団から力を奪う。だから力を回復するべく定期的に祭りをした。そこに「力が湧き出す時空=聖」「その力を使う時空=俗」という区別が生じた。

認知・評価・指令という情報理論の三段階図式を前提とした「認知」の概念は、たとえ「非認知能力」であれ、俗の側に属します。そうじゃなく、何かに接触したときに力が湧くような「聖への開かれ」の能力だと考えなければならない。

なぜ森のようちえんなのか。子どもは森に入ると力を得るからです。もともと子どもには森から力を獲得する力があり、もともと森には子どもに力を与える力がある。子どもが主体で森が環境なんじゃない。子どもと森の相互浸透がある。

クラブに行ったら自然に身体が踊り出すとか、セックスのときに自然に身体が動き出すとかも同じです。そこには主体の選択も決断もない。力の流れに委ねるプロセスだけがあります。必要なのはこの能力なんです。

おおた 対象が自然であれ、性愛の相手であれ、いっしょに踊っているあるいはたき火をしている仲間であれ、一体になったときとか、全体の一部に溶け込んだときに、力が湧いてくる感覚がありますよね。ヒーリングといってもいいんでしょうけれど。それが聖なるものってことなんですよね。

宮台 言葉の外には絶えず力が動いています。初期ギリシアでは万物の外はないと考え、万物の外に神がいるとする思想は堕落だと断定する。なぜか。万物を貫徹する力の流れに乗れない「ノリが悪いやつら」の劣化した構えだからです。

後期ギリシアになると、社会が複雑化し、ノリ(共同身体性)だけでは足りなくなった。そこでプラトンは、「ノリより、考え抜かれた言葉が大切だ」と転向した。それが「万物学(自然学)からメタ万物学(形而上学)へ」という転換です。

おおた なるほど。

宮台 ソクラテス言行録を書いていた初期プラトンは、万物を貫徹する流れにノレる詩人を愛でた。でもアテネの没落が顕著になると、『国家』で「詩人はダメだ」と言いはじめた。これは言わざるを得なくなっただけの、いわば方便だよ。

 

次回予告》
日本社会の劣化、社会化のメカニズム、メタバースの危険性、そして古代ギリシア思想。話題は次々と移りながら、いよいよ次回は「民主主義」へ。果たして、現代日本の混迷を深める民主主義を復活させることは可能なのでしょうか。そしてこれからの子育てで一番必要なこととは? いよいよ問題の核心へと踏み込んでいきます。

※本記事は2022年1月10日(月)に本屋B&Bで行われた『ルポ森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル』(集英社)刊行記念イベント「『日本の劣化』を食い止めるカギは『森のようちえん』にある!?」の内容を一部再構成したものです。こちらのイベントについては2023年1月10日(火)まで、以下のページでアーカイブ動画が販売されております。
https://bbarchive220110a02.peatix.com/

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プロフィール

宮台真司

1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。1995年からTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の金曜コメンテーターを務める。社会学的知見をもとにニュースや事件を読み解き、解説する内容が好評を博している。著書は『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』『日本の難点』(いずれも幻冬舎)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『社会という荒野を生きる。』(ベスト新書)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』(共著、ジャパンマシニスト社)、『音楽が聴けなくなる日』(共著、集英社新書)など多数。

おおたとしまさ

1973年東京都生まれ。教育ジャーナリスト。1997年、株式会社リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立。数々の育児誌・教育誌の編集に携わる。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。著書は『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)、『受験と進学の新常識』(新潮新書)、『麻布という不治の病』(小学館新書)、『いま、ここで輝く。: ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』(エッセンシャル出版)、『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』『ルポ森のようちえん』(いずれも集英社新書)、『ルポ名門校 ――「進学校」との違いは何か?』(ちくま新書)など70冊以上。

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