サフェト・アリバシッチの人生が変わった日…。彼の足跡を辿るうえで、地雷を踏んでしまったその日を避けて通ることはできないだろう。後悔してもし切れない、その日。対人地雷という兵器のおぞましさ、そして紛争の残酷さが牙を剥いた。
しかし、チームメイトのエルミンと出会ったその日、彼の人生は再び変わった。止まっていた時計が、時を刻みだしたのだ。
WOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。
「ここだよ。ここで、地雷を踏んだんだ」
サフェト・アリバシッチは12歳の時に、自分の人生を180度違うものに変えた場所に、取材クルーを案内した。トゥーズラ県ルカバッツ、サフェトのふるさとだ。
(C)Paralympic Documentary Series WHO I AM
周囲には、緑豊かな田園風景が広がる。20年前に戦場と化していたとは想像すらできない、のどかで美しい場所だ。舗装されていない小道の脇に草むらが続く。サフェトはその足で、おぞましい場所に立つ。
「ここを通るたび、あの時の画像が瞬間、頭を横切るんだ。だから、あまり来たくはない場所なんだ。ここを通るたびに、フラッシュバックのようにあの恐ろしい瞬間が蘇るんだ。ああ、オレの人生が破壊されたところなんだとまざまざと見てしまう」
足を奪っても命は奪わない
サフェトの生まれ故郷の村は、紛争開始の早い時期にセルビア人勢力によって占領され、激戦地となった。敵は撤退時に、地雷を仕掛けて去る。3年半に及ぶ紛争の間に、住宅地など場所を問わず、ボスニア全土で約600万個以上の地雷が埋められ、子どもの被害者も少なくない。とりわけ、ルカバッツはボスニア・ヘルツェゴビナで最も地雷が多い地域とされる。
戦争博物館の館長は、地雷についてこう解説する。
「対人地雷です。ボスニアで最も多い地雷がいわゆる『パテ』という缶詰型の地雷です。踏んだら爆発しますが、死ぬことはほとんどない。大抵は足を失います。なぜなら、これらの地雷は殺すのではなく、戦闘能力の麻痺が目的だからです。だから爆発物の量はそれほど多くない。戦闘作戦に加われなくするのが目的だからです。撤退時に仕掛けていくのが多いのですが、たとえば家の中に仕掛けて、持ち主が帰ってきて被害を受けるとか、テレビやおもちゃに仕掛けるというのも聞いています」
内戦で足を失った選手、宗教上の制約で女性が活躍できない国に生まれたアスリート……。パラリンピアンには、時に五輪選手以上の背景やドラマがある。共通するのは、五輪の商業主義や障害者スポーツに在りがちなお涙頂戴を超えた、アスリートとしての矜持だ。彼らの強烈な個性に迫ったWOWOWパラリンピック・ドキュメンタリーシリーズ「WHO I AM」。番組では描き切れなかった舞台裏に、ノンフィクション執筆陣が迫る。