「半島」には独特の魅力がある。今回は、日本海に突き出た半島を一周して、豊かな文化を紹介する。
「さとりの道」に誘われて
デザイナーの三宅一生は、折り込まれた無数のヒダが特徴の服「プリーツプリーズ」を生み出して、世界的に人気を博しています。ニューヨークの友人は先日、愛用しているプリーツプリーズのドレスをクリーニングに出しました。ところが、業者はデザインだとわからなかったために、必死にヒダにアイロンをかけ、真っ平らに引き伸ばしてしまいました。一メートル丈のドレスが三メートルになって戻って来て、どうにもならなかったそうです。
さて、「日本は狭い国」とよくいわれますが、それは地図を平面的にとらえた時の話です。日本の国土の四分の三は山地ですし、海岸は半島や入江となって複雑に入り組んでいます。地形の凸凹にアイロンをかけると、その面積は、オーストラリアのような広大な平地が広がる大陸に匹敵するかもしれません。
私は何年も前から各地を旅してきましたが、やはり日本はとても広く、今でも行ったことのない場所が数多くあります。その中でも、能登はずっと行きたいと思っていたところの一つでした。そこで、今回の巡礼では能登半島を一周することに決めました。
これまでの経験から、知らない土地を探訪する際は、場所より人を頼りに入っていく方が効果的だと、私は考えています。今回は能登を中心に活動している建築家で、この地域の風土にも詳しい高木信治さんに案内していただくことになりました。
はじめに連れていっていただいたのは、半島の東側、七尾北湾に面した穴水(あなみず)町中居(なかい)南という地区です。高木さんが自宅の改築を手がけた、ナマコ加工業の森川仁久郎さんに引き合わせていただきました。
中居の辺りは「くちこ」の産地として知られています。「くちこ」はナマコの卵巣を干したもので、高価な珍味として、とりわけ左党には垂涎(すいぜん)の的とのこと。森川さんの家の敷地は湾に面しており、庭先が穏やかな海面に続いていました。
炙(あぶ)った「くちこ」と、だしで炊いたナマコをいただきながら、周辺の地理についてお話を聞きました。その後に、奥さんの森川康子さんの先導で、中居南地区を散策しました。
この辺りは海沿いの狭い平地に民家が集まり、すぐ背後には入江に並行して小高い丘が続いています。丘の上にはお寺と神社が点在していて、これらをつなぐ小径が「さとりの道」と名付けられています。私たちは、大龍寺というお寺から出発して、仙慶寺、医王院、日吉神社、月光院、一乗院、明王院、それから地福院(ぢふくいん)と道に沿って回っていきました。
世界遺産に登録されるような場所や建物はもちろん立派ですが、こうした小さな場所にも、別の意味で、その土地の深い文化が根付いています。
考えてみると、日本では大抵の古い土地に「寺町」があります。江戸時代には幕府の統制下で、武家地、町人地、遊郭などの町割りが定められていました。お寺は山の麓か丘の上、あるいは町外れの街道沿いに建てることが決まりのようで、その一帯に寺町が築かれました。京都の「哲学の道」は、典型的な「麓の寺町」の例といえます。そう考えると、「さとりの道」は日本各地で見られるのではないでしょうか。「哲学の道」では、法然院の茅葺屋根で浄土の世界に浸り、冷泉天皇櫻本陵(さくらもとのみささぎ)で古(いにしえ)の歴史を垣間見ることができます。穴水の「さとりの道」でも、反り屋根の鐘楼、奇妙な細工の彫刻、木彫りの装飾がついた門、満開の紫陽花と石垣に囲まれた参道など、日常生活とはかけ離れた信仰・自然へと心が誘われます。地福院の鐘楼台から七尾北湾を望みながら、昔の町はよく考えられているな、としばし感慨に浸りました。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。