2 柴谷篤弘『柴谷博士の世界の料理』
今回取り上げる本は、分子生物学者の柴谷篤弘による料理本『柴谷博士の世界の料理』だ。
柴谷篤弘は、1960年代から19年間オーストラリアで研究生活を送り、以後日本に戻ってからは、京都精華大学の学長をつとめるなどした人。専門の生物学だけでなく、科学批判や差別論など幅広く執筆活動を行った。最近、池田清彦の『構造主義科学論の冒険』(1998年、講談社学術文庫、初刊は90年)というムズかしい本を読んでいたら、この柴谷の書いたものがいくつか取り上げられていた。
『柴谷博士の世界の料理』は、柴谷がオーストラリア生活を通して会得した世界中の料理の自作レシピと、「食」に関するエッセイ、考察とが交互に記された内容になっている。ぼくはまず、本の帯の裏に書かれた次のようなリード文に目を引かれた。
生ガキをはさんで焼くオーストラリアの名物ステーキ、サーモンと西洋ワサビソースで食べる牛肉のカルパッチョ、レバノンのパセリのサラダ「タブーリ」、などのめずらしいレシピ‼ *** 食材入手先一覧、レストラン案内なども掲載。
この帯の文章には、まったく地域もタイプも異なる三つの料理が並べられていて、その脈絡のなさには、著者の「食欲」のすごさと興味の幅の融通無碍な広がりがあらわされていると感じた。
柴谷は、学者であり、当然文章の中には様々な歴史的、地理的な知識が含まれているが、この本の根底にあるのは、率直な「食欲」と食べたいものをすべて自分で料理してしまう柴谷の行動力だとぼくには思えた。だから、この本を読むことで、最初にふれたような、いまの時代に広がりを持ちつつある個人の「食欲」についても何かヒントが得られるんじゃないかという気がした。
さて、『柴谷博士の世界の料理』でぼくが面白いと思ったのは、この本が単に著者が見聞きした世界の料理の紹介になっているのではなく、19年間暮らしたオーストラリアという多文化国家の「食」の変遷を踏まえながら、それに軸足を置いて、日本での食事情の偏りを「外から見よう」としている視点があることだった。
「外から見る」とはどういうことか。
ひとつには、柴谷はこの本で各国の料理や食材について書くとき、それを日本からの視点だけで捉えるのではなく、外国では(とくにオーストラリアで)どう捉えられているものなのか、考慮しつつ書いていることにある。例えば日本人は知らない、オーストラリアの中国系料理といったものが紹介されているし、日本人が知っている食材であっても、それがオーストラリアではどういう呼び名で、どのような用途で扱うものとして人々に認知されているか、といったことが現地の英語表記をまじえて綿密に書かれている。
30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。