はしっこ世界論 「無職」の窓から世界を見る 第2回【後編】

もうサヴァイヴしない

───深作欣二監督『バトル・ロワイアル』をいま見る
飯田朔

スペインから帰国し、新たに「なんでもない人」の視点から映画や小説などの作品、社会を捉えた連載「はしっこ世界論」。そのA面で「気張らない文化批評」を目指す「『無職』の窓から世界を見る」第2回は、二つの深作欣二作品『バトル・ロワイアル』と『仁義なき戦い』を取り上げる。日本に根づく「サヴァイヴ」の思想と、対抗言論の可能性とは。

 

映画『バトル・ロワイアル』の原作小説・高見広春『バトル・ロワイアル』(2002年、幻冬舎文庫、初刊は1999年)

 

7 時代とのズレを抱える人物

 

 深作欣二の『バトル』以前の映画では、どんな人物たちが描かれてきたのだろう。

 今回ぼくが見たのは、深作の60年代の映画いくつかと、70年代のヤクザ・アクション映画、80年代以降のエンタメ系の作品のいくつかで、すべての監督作品を見られたわけではないのだけど、多くの作品に『バトル』と重なる要素を持つ登場人物やモチーフが描かれていることに気がついた。

 例えば、深作の映画には、「時代に置いていかれた人物」や「時代や社会に見捨てられた人物」がよく出てくる。また、ひとつのモチーフとしてそういったキャラクターたちが直面する「時代・社会の変化」というものが描かれる。

 まず「時代に置いていかれた人物」というと、深作の代表作『仁義なき戦い』の主人公広能昌三や60年代に撮られた『博徒解散式』(1968)の鶴田浩二が演じる主人公黒木徹などに見られる「刑務所帰り」のヤクザ、という人物像がある。

「刑務所帰り」がなぜ時代に置いていかれた人なのかというと、そうした主人公が自分が所属するヤクザの組のために罪をかぶり、何年か経って刑務所から娑婆へ出てくると、ヤクザ社会にある変化が起きていて、主人公はその新しい状況に適応できない展開が描かれるからだ。

刑務所を出所する広能昌三(左)。『仁義なき戦い』より

 深作のいくつかのヤクザ映画では「解散式」というモチーフがあり、ヤクザの組が、警察やジャーナリズムなど社会からの追及、圧迫を逃れるため、また変わりゆく時代に順応するために「企業」や「政治団体」に表面だけ衣替えする過程が描かれる。「刑務所帰り」の主人公は、過去を引きずる立場から、「解散式」によって表面だけを変えようとする組の幹部たちと対立する構図になっている。

 このある種の「時代遅れ」感覚は、他の作品では『柳生一族の陰謀』(1978)の主人公柳生十兵衛(千葉真一)や『道頓堀川』(1982)での「ビリヤード」のモチーフ、『蒲田行進曲』(1982)の「階段落ち」など、ヤクザ映画以外の作品にも共通していて、挙げればキリがない。

 ともかく『バトル』の川田もまた、かつての殺人ゲームの参加者で、いま再び殺し合いの渦中へ戻ってきた人物であり、過去を見据えながら大人たちの殺人ゲームに抵抗しようとする点がどこか『仁義なき戦い』などの「刑務所帰り」の主人公たちと重なるし、主人公秋也と典子をはじめとする3年B組の生徒たちと違って、ただひとり過去を引きずった人物である点で、深作の「時代に置いていかれた人物」の特徴を共有していると思える。

 次に「時代や社会に見捨てられた人物」という描写に目を向けると、これはかなりの人数のキャラクターたちが描かれてきたんじゃないか。例えば『仁義なき戦い』など深作が監督するバイオレンス映画のヤクザは、戦後日本の変化の波に乗り遅れ、排除される存在として描かれている。

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994)の浪人たち

 深作は、他には『赤穂城断絶』(1978)や『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994)で、忠臣蔵の四十七士の浪人たちを同じ観点から捉えている。浪人たちは、幕府に見捨てられ、主君の仇討という目的に縛り付けられ、死地へ向かっていく人物たちだ。

 こうした不特定多数の「時代や社会に見捨てられた人物」というモチーフが、『バトル』では大人たちによって殺人ゲームに送り込まれる中学生たちの姿であらわれている。

 さて、こうした人物たちを振り返ると、深作映画の「サヴァイヴ」では、まず『バトル』の中学生たちのように「時代や社会に見捨てられた人物」たちがある閉塞した状況に追い込まれ、そこで殺し合いをさせられる、という側面があることに気がつく。その光景を川田や『仁義なき戦い』の広能のような、自分も殺し合いの中かろうじて生き延びた人物が苦々しい思いで見つめる、という構図がよくとられる。

 ここで重要なのは、こうした「サヴァイヴ」状況が生じるひとつの理由として、つねに深作の映画では人々につきまとう「時代・社会の変化」が出てきていることだと思う。その変化とは何なのか。

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 「無職」の窓から世界を見る 第2回【前編】
“祖父の書庫”探検記 第2回  
はしっこ世界論

30歳を目前にして、やむなくスペインへ緊急脱出した若き文筆家は、帰国後、いわゆる肩書きや所属を持たない「なんでもない」人になった……。何者でもない視点だからこそ捉えられた映画や小説の姿を描く「『無職』の窓から世界を見る」、そして、物書きだった祖父の書庫で探索した「忘れられかけた」本や雑誌から世の中を見つめ直す「“祖父の書庫”探検記」。二本立ての新たな「はしっこ世界論」が幕を開ける。

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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