完全なる身体の終わり?
本連載は『トップガン マーヴェリック』と『オビ゠ワン・ケノービ』を対照させることから始めた。還暦を迎えんとしていても現役バリバリであるトム・クルーズ=マーベリックに対して、オビ゠ワン・ケノービは加齢によって力を失い、ほぼ全編にわたって弱々しく逃げ回っていた(それも最後にひっくり返されるとはいえ)。
そして前回までは、ポリティカルコレクトネスが一般化した時代におけるヒーローと多様性の関連について考えてきた。白人健常者異性愛男性の完全性を理想とするヒーロー(キャプテン・アメリカやスーパーマンを考えてみよ)をいつまでも規範とすることは、現在の社会が許さなくなっている。ヒーローたちも「アップデート」が求められてきたのである。だが、そのようなリベラルなアップデートはトランプ時代の現代においては強い逆風に直面する。本連載ではそのような複雑な力学を論じてきたつもりだ。
そこまでふり返って考えてみると、初回に述べた加齢の問題は、ある種の「多様性」の問題として捉え返すことができることに気づく。その場合、加齢による健常身体的な能力の喪失という意味では、「障害」の問題はそれに隣接している。
アメリカのスーパーヒーローたちは本来、障害や加齢の対極にいた。それに関連しては、「障害」という日本語に対応する英語がdisabilityであることが重要だ。つまり障害(disability)とは能力(ability)の対義語(dis-ability)なのだ。「障害」という日本語からはこの対義語関係が抜け落ちてしまう。英語で捉え返してみれば、加齢も障害もability(能力)の問題という同じ平面の上で同時に捉えられるだろう。
そして言うまでもなくスーパーヒーローたちは、abilityの権化である。彼ら/彼女らの多くは年老いることもない。だが、目をこらして見れば、加齢や障害の問題は昨今のヒーローものにも忍び込んでいることが分かるだろう。今回はかなり明確に障害や加齢を主題化した「X-MEN」シリーズを論じてみたい。
MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。
プロフィール
(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。