被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第1回

私にばっかり背負わせないで

小山 美砂(こやま みさ)

「被爆二世」として語るべきか? 悩み、眠れなかった夜

 典子さんの体験に話を戻そう。彼女は高校を卒業後、愛知県に移り住んだ。昼間は保育所でアルバイトをしながら、勤務後は夜間の短期大学で学んだ。故郷を離れたのは、「父と近いところにいると私はいつまで経っても杉山秀夫の娘で、『平和運動家』という風にみられるでしょ。一度離れて、自分の足で立ってみたいと思った」からだった。

 入学したのは1969年。ベトナムの南北統一をめぐってアメリカが軍事介入した「ベトナム戦争」のまっただ中で、この報道も他人事とは思えなかった。進学後に初めて参加した集会では、沖縄出身の学生のスピーチに心が揺さぶられた。典子さんは自ら進んで、反戦を訴えるデモや集会に参加するようになる。

「大学に入ってからは『父に指図されてやる』ということが一切なくなって、のびのびと自由に発言できるようになったの。自分の意志で行動できるようになって、とても充実していました」

 父と離れた場所にあっても、平和への思いは消えなかった。ただ、典子さん自身の意志で行き先を決め、踏み出した点が違っていた。

 しかし、「被爆二世」と名乗って公に語るのはもう少し先だ。実は、「被爆二世」であることに深刻な思いを抱いていた。

 高校3年生の時、白血病により7歳で生涯を閉じた被爆二世の少年について書いた『ぼく生きたかった 被爆二世 史樹ちゃんの死』(竹内淑郎・編、1968年、宇野書店)が刊行された。その本は「父が『読みなさい』とでも言うように机の上に置いていて」、典子さんも手に取った。2年8カ月におよぶ闘病の末に亡くなった少年の生涯を知り、「私の命もいつか終わりになるのかな」と思い悩んだ。その不安を誰にも打ち明けることができずにいたのだった。

 先述した通り、修学旅行への参加を見送った時期と重なっていた。典子さんはふさぎこむようになる。

「毎日暗くなるまで図書館へ行ってね、生きるとは何ぞやとか哲学書とか、そんな本ばっかし読んでたの。気持ちをわかちあえる仲間をつくればよかったんだけどね、私にはそれができなかった」

=2023年7月29日、静岡県磐田市で筆者撮影

 転機は20歳の時。ある集会で「被爆二世としての訴え」をしてくれないかと、主催者側から秀夫さんに相談があった。すると、話を聞いていた母、春子さんが「やっちゃいかん、妹たちの結婚に差し障っちゃ困る」と言って、強く反対したのだ。

「悩んじゃってね、私。母の気持ちはよくわかる。でも、差別を乗り越えようって家の中でもさんざん被爆者運動をやってきたわけじゃん。だから、母にそう言わせたことが悔しかった。両親の思いの間で板挟みになって、その夜は一睡もできなくて……。でも、母の言葉がバネになって、結局集会へ行ったの。差別を乗り越えるために、繰り返さないために」

 翌朝、母が用意してくれた朝食をとって出かけた。「被爆二世として訴えます。被爆者を再びつくらないでください、核のボタンを押さないでください」。マイクを手にそう訴えたのは、隠れずに語ることこそ、差別と原爆に打ち克つために必要だと思ったからだ。以来、典子さんは「杉山秀夫の娘」としてではなく、「被爆二世」のひとりとして歩み始める。その中で思いを共有できる仲間にも出会い、力をもらった。

 被爆者の子どもか、被爆二世か。同じことを表しているようだが、違う意味が込められているように私は感じる。典子さんが「杉山秀夫の娘」として運動に参加することは応援していた春子さんが、「被爆二世」として発言することには難色を示したことからも、そのことが読み取れるだろう。つまり、前者は親である被爆者に主眼が置かれていることに対して、「被爆二世」は子どもに力点が置かれている。遺伝的影響の問題にはじまり、社会的な差別、被爆者に最も近い肉親としての経験など、より子ども世代に焦点があてられているように感じられる。 

 どのように自分自身を定義し、語るか。あるいは語らないか。これはアイデンティティに関わる問題で、どれが良い悪いと他人がジャッジできる話ではない。ただ、典子さんは眠れなかったあの夜に、「被爆二世」として生きることを選び取ったのだろう。これまで、取材のあらゆる場面で「私は被爆二世です」といった自己紹介を耳にすることがあったが、彼女と出会ってからはその受け止め方が変わった。そこにはさまざまな葛藤や覚悟、そして現在進行形の苦悩が含まれているかも知れないのだ。

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被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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