桃山の屋根
境内をさらに歩いていきましょう。
ここの境内には、あちこちに社があり、どこから見ればよいのか、はなはだわかりにくくなっていますが、四〇の社が点在し、その中心に「東本宮」と「西本宮」があると、とらえればいいようです。
私たちはまず、東本宮に向かいました。楼門をくぐると、檜皮(ひわだ)葺(ぶき)の社殿群が現れ、それらの屋根が描く柔らかな線形は実に優美です。京都市内では、これほど美しい屋根にはなかなか出会えませんので、この優美さがどこから来ているのか気になりました。
一五七一年、織田信長の比叡山焼き討ちの際に、日吉大社も完全に焼き払われましたが、その後、豊臣秀吉により再建が果たされています。そのため、多くの社殿は一五八六~九六年の間、つまり桃山文化の絶頂期に建設されています。京都にもこの時代の建物は残っていますが、多くの寺社は建物一棟だけで、日吉大社のように複数棟が密集する眺めは稀です。
桃山時代のスタイルは、屋根だけではありません。本殿の縁側に座る獅子と狛犬も、桃山時代の彫刻のようです。現在の神社では、石造りの獅子や狛犬は参道沿いに置かれていますが、日吉大社では古式の様式を守った、木製のものが、屋根の下に鎮座しているのです。
私たちは、東本宮から白山(しらやま)宮、宇佐宮をお参りしつつ、西本宮に歩を進めました。西本宮も、その途中に並ぶ社殿、摂社も桃山時代の建築で、美しいものです。
けれども……。「優美な」はずの日吉大社でも、派手な字や真っ赤な矢印が描かれた看板が溢れています。なかでも、白山宮手前のクローム製の手すりは〝見事〟なもので、そのピカピカ、ギザギザした形には、社殿の存在も霞むようなパワーが。
看板や手すりは少しの工夫で、周囲に合った良いものができるのに、このような状況はもったいないと思います。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。