牛塔
慈眼堂の供養塔を眺めているうちに、「供養する」、あるいは「供養塔を建てる」という発想は、どこから来たのだろうか、ということが気になりました。
一つの推論として、輪廻(りんね)、つまり生まれ変わりの思想のもとに、「亡くなった人の霊魂を供養すると、より良い転生につながる」という信心が始まりではないかと思います。そこから、人間だけではなく、生きとし生けるものすべてを供養するようになり、さらに神道の影響を受けたのか、「筆塚」や「針塚」など、命のないものまでが対象となっていったようです。
白洲さんの『かくれ里』には、牛を供養する「牛塔(ぎゅうとう)」も登場します。ちょうど大津市内にあるようなので、足を延ばしてみましょう。
かつて都と琵琶湖を結んだ逢坂(おうさか)の街道沿いに「長安寺」という小さな寺があります。能楽に登場する「関寺」の後を継ぐ寺院といわれていますが、ここが今ではすこぶる見つけにくい。国道から路地に入って、京阪電車の線路を越えて、長安寺に続く階段の途中に、牛塔はしょんぼりと立っていました。線路と住宅街というありふれた風景のなかに、太くどっしりとした壺のような形の牛塔は、それでもかなりの貫禄を備えています。
牛塔の由来は平安時代に遡ります。地震で倒壊した関寺の復興作業に使われていた一頭の牛が、仏の化身だといわれるようになり、時の権力者の藤原道長をはじめ、多くの人々がこの霊牛を拝みに来て、一大ムーブメントを巻き起こしたのです。平安朝の重鎮に崇められた後、鎌倉時代に立派な塔が建てられることになりました。その重厚な姿形は牛の胴体を連想させ、この種の宝塔としては日本最古かつ最大とされていますが、いったいどのようにしてこの場所へ運んできたのか……石には謎が多いです。
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。