牛塔
慈眼堂の供養塔を眺めているうちに、「供養する」、あるいは「供養塔を建てる」という発想は、どこから来たのだろうか、ということが気になりました。
一つの推論として、輪廻(りんね)、つまり生まれ変わりの思想のもとに、「亡くなった人の霊魂を供養すると、より良い転生につながる」という信心が始まりではないかと思います。そこから、人間だけではなく、生きとし生けるものすべてを供養するようになり、さらに神道の影響を受けたのか、「筆塚」や「針塚」など、命のないものまでが対象となっていったようです。
白洲さんの『かくれ里』には、牛を供養する「牛塔(ぎゅうとう)」も登場します。ちょうど大津市内にあるようなので、足を延ばしてみましょう。
かつて都と琵琶湖を結んだ逢坂(おうさか)の街道沿いに「長安寺」という小さな寺があります。能楽に登場する「関寺」の後を継ぐ寺院といわれていますが、ここが今ではすこぶる見つけにくい。国道から路地に入って、京阪電車の線路を越えて、長安寺に続く階段の途中に、牛塔はしょんぼりと立っていました。線路と住宅街というありふれた風景のなかに、太くどっしりとした壺のような形の牛塔は、それでもかなりの貫禄を備えています。

牛塔
牛塔の由来は平安時代に遡ります。地震で倒壊した関寺の復興作業に使われていた一頭の牛が、仏の化身だといわれるようになり、時の権力者の藤原道長をはじめ、多くの人々がこの霊牛を拝みに来て、一大ムーブメントを巻き起こしたのです。平安朝の重鎮に崇められた後、鎌倉時代に立派な塔が建てられることになりました。その重厚な姿形は牛の胴体を連想させ、この種の宝塔としては日本最古かつ最大とされていますが、いったいどのようにしてこの場所へ運んできたのか……石には謎が多いです。
プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。