石山寺
牛塔を後にして、石探求の巡礼を続けます。石といえば、まさしくその名のとおりの「石山寺」も同じ大津市にあります。
延暦寺や日吉大社、京都市内の多くの寺院とは異なり、七四七(天平一九)年創建という石山寺は、長い歴史のなかで戦火をまぬがれてきた寺です。そのため、ここには貴重な建物が奇跡的に残っています。
入り口の「東大門」は鎌倉時代の作で、桃山時代に大々的に修復されましたが、鎌倉時代の動的なパワーを今もたたえています。飛び立つ鳥の翼のように反り上がった広い軒は、同時期にできた奈良「東大寺」の「南大門」と同様にダイナミックです。
日吉大社の東本宮の優美な屋根を見て、うれしくなったことからおわかりのように、私は東洋の屋根に、特別の興味をもっています。石山寺の東大門は、東大寺の南大門と同じく、中国の影響を強く受けています。その時期に中国の「宋」では、屋根の造形は幻想的な曲線を描きながら、上へと反りあがっていきました。石山寺の「屋根の翼」は浄土へと飛翔するかのようで、この門を抜けた先は、この世でない領域だと示しています。
石山寺の見どころは、何といっても巨岩と、その上に築かれた多宝塔です。境内には、マグマの貫入でできた「珪灰石(けいかいせき)」が数十メートルの高さまで積み上がり、躍動感のあるドラマチックな石群となっています。さすが石の山の寺=石山寺です。
珪灰石群の背後にある「多宝塔」は、まるで石の波の上に浮いているかのように見えます。険しい人間界の山を登れば、清らかな仏の世界にたどり着く、という仏教哲学の縮図です。
この多宝塔は、鎌倉初期に源頼朝より寄進されたもので、日本に現存する多宝塔のなかでは、最古のものとされています。東大門と同じ時代の様式を踏襲し、屋根は広く反り上がっていますが、檜皮で葺かれているため、中国から脱却して、日本的な優雅さを湛えています。白洲さんは、たくさん見た多宝塔のなかで、これが一番美しいと記していますが、私も同感です。
この寺は「西国三十三所」に含まれている観音霊場の一つです。西国三十三所とは、近畿を中心に点在する、観音ゆかりの寺の総称です。若いころから徳島県に出入りしている私は、「四国八十八箇所」のお遍路巡りが、一番古い霊場巡りと思い込んでいましたが、今のお遍路コースができたのは一七世紀以降といいます。西国三十三所の巡礼は、一二世紀には今に近いかたちに整えられたようで、そうすると、お遍路よりも五〇〇年も遡ることになります。
その後、「坂東三十三観音」(関東)、「役行者(えんのぎょうじゃ)霊蹟三十六札所」(関西)など、各地で様々な霊場巡礼が生まれました。仏教以外にも「天皇陵巡り」など多方面に広がっているように、日本人はいにしえより「巡礼」が大好きだったのです。巡礼は世界中にありますが、そのコースが日本ほど多様化され、かつ現在も活発な国は他にないかもしれません。
それら巡礼には二つの動機が推測できます。まず、神仏の霊力に触れることが第一。それに加え、たとえばお伊勢参りのように、参拝がてら観光を楽しむ目的もあるでしょう。日本は、はるか昔から社寺によって〝観光立国化〟されていたのです。
多宝塔の眺めを惜しみつつ、入り組んだ珪灰石の間を抜け、石段を下りて人間界に戻りました。石山寺を出るころには夕暮れが近づいていました。
構成・清野由美 撮影・大島淳之
*季刊誌「kotoba」32号(2018年夏号)より転載
著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。