ニッポン巡礼 kotoba連載版①

日吉大社、慈眼堂、石山寺(滋賀県)

アレックス・カー
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石山寺

 

 牛塔を後にして、石探求の巡礼を続けます。石といえば、まさしくその名のとおりの「石山寺」も同じ大津市にあります。

 延暦寺や日吉大社、京都市内の多くの寺院とは異なり、七四七(天平一九)年創建という石山寺は、長い歴史のなかで戦火をまぬがれてきた寺です。そのため、ここには貴重な建物が奇跡的に残っています。

 入り口の「東大門」は鎌倉時代の作で、桃山時代に大々的に修復されましたが、鎌倉時代の動的なパワーを今もたたえています。飛び立つ鳥の翼のように反り上がった広い軒は、同時期にできた奈良「東大寺」の「南大門」と同様にダイナミックです。

 日吉大社の東本宮の優美な屋根を見て、うれしくなったことからおわかりのように、私は東洋の屋根に、特別の興味をもっています。石山寺の東大門は、東大寺の南大門と同じく、中国の影響を強く受けています。その時期に中国の「宋」では、屋根の造形は幻想的な曲線を描きながら、上へと反りあがっていきました。石山寺の「屋根の翼」は浄土へと飛翔するかのようで、この門を抜けた先は、この世でない領域だと示しています。

 石山寺の見どころは、何といっても巨岩と、その上に築かれた多宝塔です。境内には、マグマの貫入でできた「珪灰石(けいかいせき)」が数十メートルの高さまで積み上がり、躍動感のあるドラマチックな石群となっています。さすが石の山の寺=石山寺です。

 珪灰石群の背後にある「多宝塔」は、まるで石の波の上に浮いているかのように見えます。険しい人間界の山を登れば、清らかな仏の世界にたどり着く、という仏教哲学の縮図です。

石山寺の多宝塔

珪灰石群の上に立つ多宝塔

 この多宝塔は、鎌倉初期に源頼朝より寄進されたもので、日本に現存する多宝塔のなかでは、最古のものとされています。東大門と同じ時代の様式を踏襲し、屋根は広く反り上がっていますが、檜皮で葺かれているため、中国から脱却して、日本的な優雅さを湛えています。白洲さんは、たくさん見た多宝塔のなかで、これが一番美しいと記していますが、私も同感です。

 この寺は「西国三十三所」に含まれている観音霊場の一つです。西国三十三所とは、近畿を中心に点在する、観音ゆかりの寺の総称です。若いころから徳島県に出入りしている私は、「四国八十八箇所」のお遍路巡りが、一番古い霊場巡りと思い込んでいましたが、今のお遍路コースができたのは一七世紀以降といいます。西国三十三所の巡礼は、一二世紀には今に近いかたちに整えられたようで、そうすると、お遍路よりも五〇〇年も遡ることになります。

 その後、「坂東三十三観音」(関東)、「役行者(えんのぎょうじゃ)霊蹟三十六札所」(関西)など、各地で様々な霊場巡礼が生まれました。仏教以外にも「天皇陵巡り」など多方面に広がっているように、日本人はいにしえより「巡礼」が大好きだったのです。巡礼は世界中にありますが、そのコースが日本ほど多様化され、かつ現在も活発な国は他にないかもしれません。

 それら巡礼には二つの動機が推測できます。まず、神仏の霊力に触れることが第一。それに加え、たとえばお伊勢参りのように、参拝がてら観光を楽しむ目的もあるでしょう。日本は、はるか昔から社寺によって〝観光立国化〟されていたのです。

 多宝塔の眺めを惜しみつつ、入り組んだ珪灰石の間を抜け、石段を下りて人間界に戻りました。石山寺を出るころには夕暮れが近づいていました。

 

構成・清野由美 撮影・大島淳之

*季刊誌「kotoba」32号(2018年夏号)より転載

 

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kotoba連載版② 
ニッポン巡礼

著名な観光地から一歩脇に入った、知る人ぞ知る隠れた場所には、秘められた魅力が残されている。東洋文化研究者アレックス・カーが、知られざるスポットを案内する「巡礼」の旅が始まる。

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プロフィール

アレックス・カー

東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『ニッポン景観論』(集英社新書)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。

 
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