NYに行けばジャズミュージシャンに出会えた
ニューヨークの街にはジャズミュージシャンとの出会いがいっぱいあります。スモークで素晴らしい演奏を終えたピアニストのシダー・ウォルトン(彼はジョン・コルトレーンやアート・ブレイキーといった伝説のジャズメンたちと共演してきました)に感動を伝えた時、思い切ってレッスンをしてほしいと切り出したら、その場で紙ナプキンに電話番号を書いてくれました。
和食屋でランチを食べる僕の横にピアニストのバリー・ハリス(彼もまたマイルス・デイヴィス、リー・コニッツたちと第一線で活躍してきました)が座って「ジャズを勉強しているの?」と尋ねられたことがあります。授業で聞き取ったメモを復習している僕に「そんなのは意味ないよ。実際に好きな音楽に合わせて弾いてみないと」と真剣に目で伝えました。
ジャズ北野でマルグリュー・ミラーの手元をガン見してたら「席を移動させてもっとそばへおいで。もっとよく見なさい」と言われたこともあります。まるで連弾しているような位置で見させてもらったのです。
ジャズミュージシャンには、ピアニストのキース・ジャレットのようにピリピリした人もいるのですが、ヴィレッジヴァンガードでのジェリ・アレンはドーナツ型のクッションをお尻の下に敷いて「やっぱりこれよね。お尻には必要なの」とちゃめっ気たっぷりに言っていたし、僕のピアノの先生でもあったアーロン・ゴールドバーグが、ジャズスタンダードでのマリアシュナイダービッグバンドの当日券に並んでた僕に、92ndというイベントホールでブラッド・メルドーと行う自分のコンサートの宣伝ビラを配るというサプライズもありました。
「あー、アーロン!」
「お、Senri! 絶対来いよな。」
そんな気さくさ加減です。
ビバップの頃からニューヨークジャズを牽引する上記の先輩たちは若手のアーロンを除いてもうすでに多くが鬼籍に入りました。普段は気さくで友達みたいなのに演奏をし始めると別人に早替わりする、そんな天才たちが僕らがふらっと立ち寄り一杯飲む感覚で顔を出す店で毎晩のように演奏している。そんな状況が彼らがこの世を去って、だんだんなくなってきてるように思います。ジャズを好きな若い人はいっぱいいるのになかなか「えいや!」とジャズベニューへ足を運ばない。そんな時代になったように思えてなりません。この10年くらいの話です。
プロフィール
(おおえ せんり)
1960年生まれ。ミュージシャン。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」などヒット曲が数々。2008年ジャズピアニストを目指し渡米、2012年にアルバム『Boys Mature Slow』でジャズピアニストとしてデビュー。現在、NYブルックリン在住。2016年からブルックリンでの生活を note 「ブルックリンでジャズを耕す」にて発信している。著書に『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』『ブルックリンでソロめし! 美味しい! カンタン! 驚きの大江屋レシピから46皿のラブ&ピース』(ともにKADOKAWA)ほか多数。